不定形な文字が空を這う路地裏

肉体のサイレン

















そうしてお前は海藻のような俺の臓物を引き摺り出す、喪失の感触はあまりにもヘドロを思わせる、トッカータが聞こえる、それはあまりにもマッチしている、俺は呆然と虚空を眺めている、目に映る風景はとっくに意味を失くしている、肉体の喪失を埋め尽くさんと目論むのは有り余っている血液だろうか、でも新しい出口が開いたままでは…呼吸音がかすれているのが分かる、器官になにかが詰まっている、あるいはなにかがせり上がってきている、俺はこらえようとするが、あっさりと負けてしまう、それは血液だった、赤、あるいは深紅―むしろ赤交じりの黒といったほうがしっくりくる、もしもそれが本当に血液だったとすれば、だけど―それは決壊した堤防を縦横無尽に這いずり回る津波のように口から鼻腔から果てしなく溢れ出す、呼吸が出来ない、呼吸が奪われようとしている、でも流れを着ることは出来ない、俺の身体にはそれに抗うだけの体力が残っていない、視界が白く霞み始めた頃、血流はようやく終わりを迎える、もしかしらすべてが流れ出てしまったのかもしれない、もはや俺は肉体を保持しているだけの亡霊に過ぎない、体温が冷えていくのが分かる、冷たい汗が流れ続けている、時々循環器が癇癪をおこすみたいに呼吸が大きく跳ね上がる、でもそれは次第に長く、感覚を開け始めている、どうしてこんなことが起こるんだ、俺は死神のようなお前に尋ねる、お前ははっきりとした答えを明らかにはしない、ただそこには必ず理由があるのだよと言いたげな笑みを静かに浮かべているだけだ、かまわない、と俺は答える、どうせもう知る必要もない、本当のことを知る瞬間はいつだって手遅れだ、そうだろう?なにもかもが終わりだと知ってしまうまで本当のことは分からない、だから俺たちはこの身体にギリギリまでしがみつくしかない、そうだろ?やり直すチャンスなんていつだってあったことはないんだ、まずまずだったか、しくじったか、俺たちに知ることが出来るのはいつだってそんなことだけさ、冷たさはとっくに冬のそれを超えている、生命に訪れる最後の冬だ、俺はそれを抱きしめようと試みる、まだ両腕は動くだろうか、子を抱くようにそれを抱くことは出来るだろうか?(俺はそんな感触を知らないけれど)、両腕はどうにか持ち上げることが出来たけれど、指先は動かなかった、そうだな、と俺は納得する、もっといろいろなものを抱きしめておくべきだったのだろう、その知り方を、確かめ方を、俺はあまりにも知らな過ぎた、お前は笑っている、萎びた俺の内臓を戦利品のようにぶら下げて…ああ、あの血だまり、あれは俺の人生のすべてだ、どす黒く汚れた血液の結晶、どんづまり…トッカータが聞こえる、トッカータが聞こえる、どうしてそんなものが聞こえるのか分からない、ただそれはあまりにもマッチしている、だから俺はいらだつことが出来ない、指先は意思とは裏腹にまだなにかを身体に引き寄せようとしていた、でも俺はそれにずっと気付くことが出来なかった、神経が切断されている、意思は、命令は、すでにどこにも伝達されない、まるで夢を見ているようだ、と俺は思う、違う、この光景ではなく、自分がまだどこにでも行けた頃のすべてが誰かの退屈凌ぎの落書きみたいなものだったように思える、それはもうすでにこの俺のすべてが清算されてしまったということなのかもしれない、俺にはもう現実は必要ないのだ、天井の色が変わり始める、様々な顔が見える、幼いころに数度会っただけの、もういまは居ないはずの人間の顔が見える、知らない顔も居る、とても古めかしい髪の編み方をした…、そうか、そうか、俺は笑いだす、俺は知らなかった、そうしたことのいっさいを、俺はなにも知らなかった、だからこうしているのだ、だからこうして横たわって―天井が回り始める、いつかそんな歌を聴いたことがあったなとぼんやりと考えるけれど、おそらくその歌を思い出すことは二度とないだろう、俺の輪郭はあやふやになり、トッカータはフェイド・アウトする、そうしてもうじきこの味気ないベッドは、まるで俺という存在のすべてを飲み込んだみたいにあっけらかんとまた白いシーツを次の住人のためにピーンとはって見せるだろう…。

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