不定形な文字が空を這う路地裏

路地に滲む夢


昨日誰かと電話で話した気がするけどそれが誰だったかなんてもう思い出せない、たぶん身内の死に関することだった気がする、台風が通り過ぎて夏が少し項垂れた午後、歯医者の椅子に横たわりポカンと口を開けながらそんなことを思い出した、誰もがバリヤーの内側で少しずつ手の内を見せていく、お互いに自分にとってどんな意味のある人間なのかと考えながら…そのうちに新しい歯が出来上がる、俺は礼を言って歯医者を後にする、待合のテレビではどこかの田舎の祭りが映されていた、現代に迎合していくものではない、昔ながらのトラディショナルな祭り、でもどこの祭りかなんてまるで興味がなかった、俺には祭りにエネルギーを注ぐ連中の気持ちはわからない、祭りとは結局のところ、つまらない毎日の捌け口を昔の優秀な権力者が設けたのだという印象しかない、数日徹底的にガス抜きを行っておけば、誰一人文句を言うこともなく代わり映えしない人生を精一杯生きる、帰り道、気まぐれに踏み入れた路地に落ちていたのは、先月で閉院した表通りの個人病院の最期の挨拶、どうしてそんなところに落ちているのかまるで見当もつかなかった、決して近い距離ではない、悪意にしては意味がない、風にでも吹かれたのだろうか、夕暮れの路地でしばらくの間そいつを見下ろしていた、平和に、暢気に暮らすことさえこの街じゃ容易じゃない、国民の為に行われているらしい政治は俺たちを幸せにしたことなどない、俺はいつだってこんな場所に立っている、でも、だからなんだ?たとえ乞食になったって詩ぐらいは書いて居られるさ、俺には俺の人生の価値がある、低所得者同士の小競合いなんかに巻き込まれるいわれなんか無いんだ、だけど、他人を落とすことで自分が偉く見えると思ってる馬鹿なんて、どんな階層にも居るからね、まったく、反面教師にゃ事欠かないぜ、誰かが引いた線をなぞるだけの毎日なんて偉くもなんともない、どこかで聞いたような人生訓、正論も反逆の狼煙も、ものの本から借りてきたようなものばかりさ、結局のところ、それは同じところから始まっていて、同じところへ返って行くだけなんだ、昔読んだコミックで人間は猿じゃなくて恐竜が進化したものだっていうのがあったけどさ、いまや人間は蠅に退化していってるんじゃないかと思うよ、単純明快なものばかり追いかけて、すべてをその枠にはめようとする、ドストエフスキーを「文字が多い」と批判することがスノッブだと思ってるようなやつらばかりさ、履歴書ぐらいしか書いたことがないようなやつらがなんだってわかるみたいな口を聞いてる、まったく、反吐が出る―路地を出て、小さな食堂で早めの夕食を取ることにする、厨房に一人、ホールに一人の、中年の夫婦らしき二人だけの店、ウエイトレスの女は人生にどんな望みも持っていないような、真っ黒に塗り潰された目をしていた、厨房の気が短そうな痩せぎすの男は性急なペースで俺の注文を作った、味は悪くなかったがその他のものが狂い過ぎていてまるで食った気がしなかった、料理以外のすべてのチャンネルがジャストなポジションを外していた、彼らはいつからこの店をやっているのだろうか、と俺は考えた、歯医者に通い始めたのは最近のことなのであまりこのあたりを歩いたことが無かったのだ、安過ぎる勘定を済ませて店を出ると日は暮れていた、さっきの店と同じくらいの規模だろう、様々な食い物の店がちらほらやっているのが見て取れた、一階が店舗、二階が住居の昔ながらのスタイルだ、少し前まではこんな店が両側にびっしりと並んでいたのかもしれないな、再開発地区を思わせるフェンスで囲われたたくさんの空地を見ながらそんなことを考えた、通りの終わりには地蔵がひとつ置かれていた、そばに小さな碑もあったけれどそこになにが書かれているのかはもうわからなかった、辺りが暗過ぎたし、年月が経ち過ぎていた、4、5人の気配がしたけれど見渡してみてもひとりも見当たらなかった、この場所で何が起こったのか、知りたい気持ちが無くはなかったが、同時にそれは知ってはならないことのような気がした、俺はどんなことにも気が付いていない振りをしてそこを通り過ぎた、駅を探して電車に乗ろうか、少し長いけれど歩いて帰ろうかと悩んだ、今日はもう歩きたい気分じゃなかった、と言って、ホームで電車を待つ気にもならなかった、タクシーを捕まえて、家の近くの大きなスーパーの名前を言った、運転手は声を発することなく頷いて完璧な運転で俺をそこまで運んだ、俺は金を払い、とても快適だったと感想を言った、初老の運転手はほんの少しだけ笑って頭を下げた、俺が車を降りると、タクシーは静かに滑り出したが、そのまま次第にスピードを上げて壁に激突した、壁は崩れ、タクシーのフロントを圧し潰し、タクシーは三度弾んで沈黙した、辺りからわらわらと人が現れてタクシーを取り囲んだ、駄目だ、死んでる、と運転席を覗き込んだ誰かが言った、俺はそのままスーパーに立ち寄り、買う必要もあまりないものを幾つか買って家に帰った、シャワーを浴びて、音楽を流しながらソファーにもたれた、いつの間にか転寝していた―特別なにが起こるでもない、けれどなにかとんでもなく不吉なものを含んでいるみたいな、寝覚めの悪い夢を見た。


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