音が聞こえたんだ
音が
ああ、そいつは本当にものすごい音だったよ、憤まんやるかたなしといったような―何かに例えるとすればそんな音だった
俺は本当に驚いてさ、だってそんな音が
だってそんな音が自分の中から聞こえてくるなんて考えた事もなかったもの
俺は反射的にシャツを脱いで、上半身を姿見に映してみたんだ―どこからその音がしたのか突き止めなければいけないという切迫感に駆られて…そう、あれはまさしく切迫感と呼べるようなものだったぜ!!この俺の日常においてそれは途方もなく異様な現象だった
それなりにケアしているこの肉体を俺は眺め回した、特に顎の辺りから鎖骨にかけて―なかなか気にかけることのない辺りだね、その辺を中心にして
だけど、その音が聞こえたのがいったいどこからなのかまったく見当をつけることが出来なかった、俺は鏡に向かってイラついた表情を作ってみた―それが本当の感情なのかどうか知りたくてね、だけど、知ろうとすればするほどそれは嘘っぽいものになって
ああだ耕だと眉を動かしているうちに当初の目的を忘れそうになったので表情筋の具現化の整合性についてそれ以上考える事はやめにしたんだ
で
さて、いったい俺のこの体内でぶっ飛んだ表現を成しえたものはどこに潜んでいるのだろうかと俺はじっくりと考えた―シャツをきちんと着て
考えれば考えるほどそれは判らなくなった、こんな話があるんだ―とある大学である教授が認識だかなんだかの講義をしていたら一人の学生が乱入し教授の胸に何か尖ったものを突き立てた、何人かの女生徒が悲鳴を上げた、男子生徒も硬直した、ところが―
教授から離れた男が手にしていたのはバナナだったっていうんだね
教授はこの一件について生徒のアンケートを集めてみるとなんとたくさんの生徒が、「バナナではなくナイフに見えた」と書いていたというんだね―教授の目論みは見事に成功したってわけだ―ええと、それで俺が何を言いたいのかというとだね、喉もと過ぎれば熱さ忘れるってやつで―俺にはもうさっき聞いた音について事細かに説明する事がすでに出来なくなりつつある、さっきなにかにほんの一瞬気をとられたせいで―それが何かももう思い出せやしないっていうのに―あっという間にその音についての明確な感触を忘れてしまったというわけなんだ、具体性を持たせようとして曖昧にしてしまった、こいつはなんて失敗なんだ
いや
まだ失敗というには早い―だって俺は音そのもののことは忘れてしまったけれど切迫感についてはまだはっきりと覚えているんだから
事故を起こしそうになったことってあるかい?俺は起こしたこともあるけれど―ともかくそういう一瞬が呼び起こすみたいなショックさ、色彩がホワイトアウト気味になって、動悸が早鐘のようになる、一時期流行ったジャングル・ビートみたいに―あのショックに本能的な不安を加えたもの、そんな感触なんだ、つい今しがた俺の身体を閃光のように駆け抜けた音が残した切迫感というものは
もう出ていっちまったかもしれない、俺がそいつに追いつけないだろうことをすぐに察して―凡庸の地平に俺のことを置き去りにしていっちまったかもしれない、閃光は俺の脳天辺りを穿孔して、蛍と一緒に黄泉の国を目指して行ったのかも、途端、俺の切迫感は恐怖に近い様相を呈してくる―もしかしてあれは、もしかしてあれは、決して逃がしてはいけないものだったのではないのか?あいつが穴を開けて出て行く前に、俺は身体を硬くして、あの切迫感を体内に閉じ込めなければいけなかったのではないのだろうか―もしもあれが生まれてこのかた、孕み育んできたひとつの根拠のようなものであったとしたら―動悸がまた速くなる、今度はもっと違う―下手なヘヴィメタ・バンドのバスドラの描く不整脈みたいな―そんなたちの悪い動悸だ、俺は本当に胸を押さえつける(俺は本当に胸を押さえつける)B級ホラーみたいな悪魔が生まれてきちまうんじゃないだろうな、俺の不安は枚挙に暇がない
音を聞くべきか?もう一度あの音を聞くべきか―?もう一度あの音は聞こえるのか?もう一度あの音を捕まえる事が出来るのだろうか―俺は心臓を直接握り締められそうなくらい胸を強く押さえ―でもそれはきっとなんの足しにもなりはしないのだ
音!!
音だ!!
荒れる呼吸を統制しようと試みながら俺は叫んだ、あの音はきちんと捕まえなくてはいけなかった音ではないのか―!?
音をよこせ、音をよこせ、音を―あの音を俺に
あの音を
俺に
俺に…
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