草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

私は疲れ果てました

2019-03-03 17:37:53 | 心臓血管外科検査

2016-06-10記録

もう破裂するぅ!
と思っていた3個の大動脈瘤。

朝4時から目が覚め5時半に階下に下りました。
お父さんは洗濯は今日はしないと言いながら
やっぱり洗濯して干していました。スゴッ

留守番できない の子守りは長姉にお願いです。
まったく申し訳ないことです。


さて、病院に着きました。
私1番だし今日は早く終わると思っていました。


ところが前年につづいてまた先生(Dr.)が居ない。
延々居な~い。
前年は緊急手術が入りずいぶん長く待たされました。
代診に先生の下の先生が診てくださる予定でした。

ところがその代診の若い先生も緊急手術に駆り出され
待ちぼうけでした。

結局1時間待たされ ようやくレントゲン、CT、採血、
心電図、手足の圧迫で動脈硬化の検査、超音波検査。


こちらの病院の検査結果のスピードは凄まじいのです。
10分ほど待つともう診察室に呼ばれました。

早!


先生は1時間の遅れを取り戻そうと思われたか?
「検査は良好で何の問題もありません」
「最近の様子はどうですか?」
「お腹痛いです」
どういう腹痛か話しましたが…

「それは消化器内科ですよ。動脈瘤は破裂するような大きさではありません」

数値を尋ねると去年よりうんと小さくなっているではありませんか!

「うわっ、瘤が小さくなってる。嬉しい! 瘤が小さくなることがあるんですねえ」

喜んでいる私に先生は…

それはあり得ません、瘤が小さくなることはないのです
「どういうことでしょう?」
「測り方に誤差があるんですよね」

3人の医師に4回伺った経緯がありますが、
3人による4回の診断は全て異なる数値でした。

まあ、外科的に大丈夫らしいですが、
心臓の血液の逆流があったのですが
問題にするほどのものでないと。

まあ、医師にすれば毎日重篤な患者を診ているわけで
私の数値は気にする数値ではないのでしょう。

ほんの2、3分で終わりました。

患者にとっては一つひとつ訊きたいことがあって
自分が納得し安心したいのですが
医師は後れを取り戻したいのでしょうね。
そういう意思が見えたので質問を止めて退室しました。

渡された検査用紙には数個の基準超えがあります。
採血検査項目は少な目でした。

BNP(心不全度)は基準の倍の数値を遥かに超えています。
右冠状動脈は詰まってしまい血管が無い状態です。
細い血管も詰まったまま。

外科的には関係ありません。
だから医師の見解では 私は大丈夫!だそうです。

6年一日の如く続くこの苦痛を誰も緩和してくれないことを
知っているのであまり話す気にもなりません。

ただ、今回の嘔吐の際の臍付近の激痛で破裂じゃなかったことを
落胆した話をしたら、

「何故落胆するのですか」
「この苦痛が終わるから」

「消化器内科に何故行かないのですか?」
「血管で終われると思うから今更癌の罹患を検査しても意味ないです」
「血管で終われるというのは医師にとって悲しいです」

先生一人で悲しんでください。

この6年半の毎日の窒息しそうなほどの苦痛を体験なさると
お分かりになると思いました。

私はもう 疲れ果てました。

で、吐き気も続きますし、消化器内科に予約を入れました。
さて、3年前に「あなたは必ず癌になります!」の医師の言葉どおりかな?

自分の体は知りたい……。

今日は恐怖の病院だったのに体調快調
こんな日は珍しい特異日です。
不安症はどこへ行ったでしょう。アハハ。


ところで私は、中学2年生よりずっと「疲れ果ててる」んですよぉ!?

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5年半後検診

2019-03-02 20:09:47 | 心臓血管外科検査

2015-06-02記録


5年半ずっと不調に苦しめられ
腹部大動脈瘤の2個に痛みを感じるようになっていた。

痛みは激烈なものではなく、
チクチク、キリキリ、時に引っ張れるような感覚。
しかも腹部に膨満感が広がり、
屈折すると異物感があり、

潰れるぅという感じになり
草抜きをしていられない。

それでも動脈瘤は破裂せず、また明日が来る。

最近すっかりノイローゼ気味。

救急でいけばまた大変な治療を受け
苦しいままの明日が来ると思うと恐怖が走る。

この頃では医者恐怖症。
医者には絶対行きたくない!と思うようになっていた。


それでも家族の心配を蹴って拒否し続けるのも
どうかと思い、予約が入った今日検診に行きました。

まずは採血、レントゲン、CT撮影、心電図、超音波の順。

早い、午前9時過ぎに始まった検査、
10時半には会計の清算を終えることができる。

どの科にも専門の医師が結果を読み取り
即時担当医に告げる。


結果は血液の数値まあまあ良好。
レントゲン、以前に変わりなくきれい。
CT検査で2つの動脈瘤はその後成長が遅々として進まず
大きくなっていない。
超音波で心臓は無事。

何の問題も無し!!!!!


はあ、こんなに苦しいのに?
自分で病気を作り出しているということ?
いよいよ心療内科の門をくぐったほうが良い?


で、担当医が掛かりつけ内科医に胃の検査を受けるよう
お手紙書いておきます。


以上で恐怖を感じた検診はあっけなく終わった。


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血管外科は予約でいっぱい

2019-03-02 19:54:48 | 心臓血管外科検査

過日 かかりつけ内科医で紹介状をいただいた。
その後 夫が私の心臓血管外科への予約電話を入れた。

私の予約は5月だった。
4月21日の段階で 5月の予約はいっぱいで取れなかった
私が掛かるのは動脈瘤専門の科。

この5月にどれだけ動脈瘤の患者が多いか!!
ということですね。


庭のアイリス






ご近所の白いクレマチス

こうして4月も終わります。

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動脈瘤定期検診

2019-03-01 18:42:23 | 心臓血管外科検査

2014-05-20記録


今日は心臓血管外科で人工血管置換術後と
新たに誕生した2個の動脈瘤の検査に行きました。

まず、CTとレントゲン撮影
CTは首の辺りから膝の辺りまで。
レントゲンは胸部。

今日は珍しく患者さんが少なく比較的空いていました。
次に採血、そして超音波の順でした。


私はこのモグラ叩きのような血管の劣化で
また1、2個 新しい瘤ができているかと思いましたが、
結果は変化はありませんでした。


瘤の成長にはまだまだ時間があるそうで、
次回検診は1年後ということになりました。


そして、何故この苦痛があるのか分からないのです。
と言われました。


私に分かるわけも無いのですが…諦めて帰宅しました。


すぐ気づけば良いのに、単純な原因を忘れていました。
私のこの苦痛は、バイパス手術の際の
血管と血管の縫合が悪くて即行詰まってしまいました。
これが最大の苦痛の原因です。

証明する方法もありませんし、医師に詰め寄る気もありません。
まあ、強いていうなら私の血管の劣化が最大の原因と言えるでしょう。
そして血管があまりに細いことも手術がうまく運ばなかった
原因でもあります。

もうこの先、以前の体に戻ることは二度とないでしょう。

それにしても検査結果に問題は無かったのですから
これ以上の苦痛は当分襲ってこないでしょう。

が、この苦痛はずっと持ったまま過ごすことになります。


この病院に当分の間 通う必要がないのです。
はっきり言って嬉しいです。


肝臓、腎臓も少しずつ数値が高くなり、
正常値を超え始め「H(high)」のマークが多くなってきました。
多量の薬服用が招いた結果です。
一生この薬を飲み続けるのが怖いです。


今日目立った数値は中性脂肪(TG)が正常値の倍を更に超えました。

上限150までに対して私の数値は387
これは???

乱高下する数値とは言え、高脂血症は脳梗塞の原因でもあります。
気を付けないと!


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動脈瘤の再発

2019-02-28 16:52:17 | 心臓血管外科検査

2013年11月11日記録


今日は北からの寒気団が降りて来て寒い一日の始まりだった。

留守番できないワンはトリミングをかねてペットショップにお預け
娘が出社前にモモを送り届けた。。


私たちは7時35分頃迎えのタクシーで心血専門病院へ出発した。
到着したときは8時前だったが番号札は既に45番目で患者の多さに驚いた。

循環器内科に通ったのは8月、9月
心臓関係の患者は極めて少なかった。
流石11月も初旬を終えると急増するのだろうか?

待合も座る場所さえないほどに混雑していた。
幸い皆何とか座席を確保できたようだった。


しばらく待っていると診察前に検査指示票が手渡された。
採血、超音波、レントゲン、単純CT検査のメニューだった。

9月にCT以外の検査を受けていることを伝えると医師に確認してくれた。
今日はCT検査のみで良いことになった。

放射線科のある1階に下りると、ここでも患者でごった返していた。
幸い私の座る場所は確保できたが、30分もすると立って待つ人が増えてきた。
スタッフが慌てて丸椅子を用意した。何しろ心臓系病人だから…
かつて改築前の放射線科はこれほど混雑はしていなかった。

患者も今日は比較的若い層が多かった。
よぼよぼの高齢者が少なく、団塊の世代以下の年齢層の人を多く見かけた。

1時間ほど待ってCT検査を受け、2階の外来で結果を待ちました。


結果……
心配した人工血管のつなぎ目は上下ともに何事も無かった。
が、脚の動脈と腹部動脈の2か所に膨張が見つかった。

つまり動脈瘤である!

足といっても腹部である。
詳細を訊く気もなくきょと~んとしてた私。


これだけ食事制限を護りぬいても再発は免れなかった。
まだ治療する段階ではないそうだ。

「他に悪い箇所があるのに…そちらの治療を何故受けないのですか?」H医師
「もう受けたくありませんので…」私
「どうしてですか? このまま放置してると苦しんで苦しんで死んでしまいますよ!」H医師
「もう良いかなと思うのです。この4年間本当に苦しみました。
これ以上に苦しむことはないんじゃないですか?(意味不明)」私

私、どうしてステント治療を受けないんだっけ??
今日はそんなことを話すつもりじゃなかったので…ガハハ、忘れてた。
どうでもいいことだしね( 一一)

家に帰って思い出しました。薬の副作用が怖くて受ける気持ちが失せたのでした!?

そのとき、私はさらりと流しました。
「私のバイパス手術は100%詰まっていました」私
「ああ、ときどきあるのです、そういうことが…」H医師
「あ、私の血管やたら細いですものね」私
「ええ」医師
(助っ人出さないと先生の立場ないしね)

で、
話が一段落してH医師の名前に記憶があったのでお訊きしてみました。

「先生はY先生のチームでいらっしゃいますか?」
「はい、そうです。Yのチームです」
「じゃ、私の手術を執刀してくださいましたよね?」
「え? 私は一時外国で勉強していましたから…」
「私の手術は2010年1月18日でした」

先生はパソコンのカルテをひも解かれ…

「執刀しています」
「そうですか、お名前に記憶があったものですから…」

○○先生がどこそこの病院に行かれ、
△△先生はこちらで前期研修を受けられ、
今大阪大学で再度お勉強なさっていますよね。

「え~? どうしてそんなに詳しいんですか?」

次々世間話混じりに…
「どうして?」
「は~い、ネットで」

先生は苦笑というか微笑していらっしゃいました。
私、何やってるんだか(-_-)

私の再発は覚悟していたし…
カテーテルステントも今は入れるつもりはないし、、
どうでも良いのです。

ただ、バイパス手術を受けて、即閉塞していたのです。

恨むつもりはありませんが、それが私の運命だったのでしょうし、
取り返しはつかないし…

でも、苦しんでいる私をきちんと調べないで
心療内科に行けとおっしゃったのは Y主治医でした。

バイパス手術を執刀なさったのは
恐らくY主治医の弟子クラスのスタッフだったと思います。

弓部大動脈瘤の手術は大きな手術です。

時間も無かったでしょうし、私の血管はボロボロだったし、
あまりに細かった…色々な悪条件の下でうまく繋げなかったのでしょう。

生活習慣病に罹った私に大きな非があるのです。


皆さまもどうぞ、食生活には特にお気遣いください。
後悔先に立たずです。。。

中性脂肪が多い人、コレステロールの多い人…
十中八九『動脈硬化症』が疑われます。


グルメ番組に翻弄されないように!

高カロリー食品は身を亡ぼします。

ぶ~、私かなり医師団を怨んでるね、きっと(;´Д`)苦笑


※ ところで再発ではなく、これは最初から複数個の
  動脈瘤がみつかっていて、それが成長しているだけ
  だったのですよね。私お大きな勘違いです。


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2年後検診

2019-02-23 22:20:31 | 心臓血管外科検査


以下 2012年5月29日記録


今日は2年後検診の日でした
疲れました。。
術後28カ月過ぎかな!?

体調最悪状態で行きました
が、検査の結果は良好。
老化は否めませんが…だって

私は現症状を細かくワード打ちして持参しました
それを見た医師(以下 先生)

「どうしても病気を作りたいのね」先生

苦笑する私
メモ書きには眼もくれない先生

でも、ちらっと眼をやり…

「パルスオキシメーター、買ったのお」先生
「はい、買いましたとも」私

「99%ねえ、最高じゃないの!
ここには90%を切った人が大勢来るのょ」先生

「過呼吸は?」私
「過呼吸は二酸化炭素を要求する症状が出るよ」先生

『だから、酸素が足りない症状が出るっちゅうたら』「……」私

「99%って決して酸素が多すぎじゃないのよ、良い数値じゃないの」先生
「……」私

とりあえず、数値、写真に出てる結果が良好では二の句が続きません。

この苦痛から逃れる術はもう無いらしい 絶望。


「数値が良好で、苦痛だけが続くなら私はもう死んでしまいたい」私

「あ、本当に死にそうになると、助けて!って、皆絶対来るのょ」先生

「いえ、この苦しさをもう少し辛抱したら死ねますよ、来ないよう頑張ります!」私

「あのね、空蝉さん」先生

「死にそうな人はネ、食欲も無くなり、げっそりやつれて顔色が…」先生

「真っ青になるとか!?」私

「そう、そう、そう。」先生
「空蝉さんのように見るからに元気そうで血色が良く、ふっくらとしてないのよ」先生

「心筋梗塞とかで死ねますよ!」私
「先生、死ぬときは痛いんですよね?仰いましたよね、そうだと」私

「あ、動脈瘤が破裂するときはね」先生

「じゃあ、心筋梗塞は痛くないんですか???」私

「あのぅ空蝉さん、私今紹介状の手紙書いてるからちょっと…書けないんです
(静かにしていただけます?)」先生

「あ、すみません」黙る私

「動脈瘤に関してはまた1年後にね、
 これ循環器内科に回すからそっちに行ってください」先生

お礼を言って診察終わりました。

このドクターは2年前にはかなり仏頂面(ごめんなさい)だったのに、
今日は御仏様のように後光が差して柔和なお顔をなさっていました。

私は先生と漫才をやりに来たのか?????



私には未だ左冠状動脈の2本の詰まりがあります。
夫が手術時に残したこの血管はどうなるか聞いたので
循環器内科に回していただいたのでした。

外科医の見解も、循環器内科医も同様の見解で…
カテーテル検査は人工血管が入っているため非常に難しいものとなる。

そしてカテーテルバルーン手術をしても新たに、延々薬が追加され
それを飲み続けなければならないリスクがある。

「どうしますか?それでもカテーテル検査をしますか?」循環器内科医
「判りません」私

「では、とりあえず造影CTを先に撮って、悪ければまた策を練りましょう」

ということで造影CTに関するリスクなどの説明を受け、承諾して帰宅しました
ひどく疲れました。。

循環器内科の医師は2年担当した医師に変わり、優しく患者思いだった。



アノネ、執刀主治医の外科医先生、
2本のバイパス手術予定を1本だけにすると決まったとき
仰いましたよね!

「この血管は後で何とでも出来ますから」って…

どうにもなりそうじゃないじゃないかあ !!!

良いけどネ、この2本はある意味宝物かもしれない。。
この血管が詰まれば逝けるもの。。

苦しみから逃れたい。。。


私は知ってる、デブでこういう疾患で逝った人を何人か。

真っ青でやせこけた方は血管ではなく、心臓そのものに
拡張型心筋症とか心肥大の方がね、そういった体躯ですよね。
患者にも査証の知識はある!

この藁にもすがりたい感じの患者の苦痛が分からないのか!?!?!?

まあ、医者が全部の症状を知り、治せるものでないことは
よくよく分かりました!


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見捨てられた患者

2019-02-23 21:54:59 | 心臓血管外科検査

以下 2011年5月18日記録


昨日は1年後検診で元病院に行った
心臓病専門病院である

検査内容は
➀ 採血
➁ 心電図
➂ レントゲン撮影
➃ 単純CT撮影
➄ エコー検査

執刀主治医には予約が必要であったが
間に合わなかったので別の医師が担当であった。

以上の5つの検査結果はその日のうちの、それも早期に出る
受診が終わったのは昼前だった

結果は心臓はひどく元気に活動し、
肺も至極きれいで申し分ないそうだ。

で、新しく担当になったH医師は含み顔で「どうですか?」
患者としてはこの含み顔が気になる( 一一)

「誰か、殺して」というくらい苦しいです!と訴えた。
私は息継ぎが困難なので予め症状をワード打ちして持参していた。
それを読んでいただいたかどうか!?

医師は内科医の紹介状を重視しているようである。
私が精神的に引き起こす諸症状と決めつけている様子。

こともあろうに掛り付け内科医の紹介状を読みあげる。

「自分の見解としては精神的なものであると診断します」と。。

私は残念なことにこの内科医を信用していない。
何故この医師に掛るかといえば、足が無い。
風邪で発熱して足が無ければ徒歩で近いところに行くしかない。

この医師は研修医期間が2年だけで開業しているので
臨床経験が乏しい。

だから診断に不安が多々ある。
弓部大動脈瘤が発覚した際、私が心臓専門病院の紹介をお願いした。

けれど紹介状の内容は呼吸器かの疾患だと思うと所見を述べていた.

だからこの心血専門病院の受診を拒否された。
喰い下がって受診をお願いした経緯がある。

素人の私が動脈瘤かもしれないと判断したというのに…
この内科医は呼吸器だと…
しかも、市の検診で引っかかったのは「血管に異常がある」であった
臨床経験の期間が短いとはこういうこと??


話を元に戻そう。
H医師は「私の症状はさっぱり判らない」という。
「大学病院の呼吸器科で異常がないというのにこれ以上探しようが無い」

「じゃあ、どこの科へ受診すれば良いのですか」
「判りません!!!」

H医師は「判らない、判らん、判りません」を繰り返し続けた
延べ百回は仰った?というくらい連発なさっていた。


私は食い下がった。
「この掛かりつけ内科の先生はこの動脈瘤が破裂寸前のときに心療内科を奨めた医師です。
 何でもかんでも心療内科ということになると心療内科の医師が大変ではありませんか?
 それでも心療内科に行けとおっしゃるなら行きますけど!」

H医師の顔色が変わった。
「イヤ、それも大病が隠れてしまう危険性があるのですけれど…」

少し弱腰になった。

「けど、本当に判らないんです。とりあえず、肺、心臓に疾患があれば
 仰向けになるのが一番苦しいんですよ」

「はい、承知しています。私の場合はその逆ですからそこに、角度に原因が
 あるのではないでしょうか?」

「判りません!!!!!!!!!!!!」

話は一向に前に進まないのでついに諦めました。

蛇の生殺し状態で患者を見捨てるのか?? 

絶望が走ったがここでストライキを起こすわけにもゆかない。

仕方ないので引き下がった。

17分もの長きにわたって藁にすがってみたがどうにもならなかった。


今の医学もこれ止まりなのだろうな!?
判ることのほうが少ないのだろう
人それぞれ個体差が大きいし…

人間一度は彼岸に行くのだ。
そうは言ってもこれほどまでに苦しい体で
何年も生かされるのは正直つらい。

が、明日何が起こるか分からない。
なるべく何か起きてしまって楽になれれば…
そんなことを考える今日このごろだ。。

医者に見捨てられた患者は行き場も無い。。。


追記 術後2年経過してようやく新たな事実が判明したのは
    私のバイパス手術の縫合に失敗して一番悪かった
    右冠動脈が完全に詰まって画像から消えていた。
    つまり右冠動脈を失った状態だったことが判明するのは
    もう少し後のことでした。


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血管外科卒業

2019-02-23 21:47:58 | 心臓血管外科検査

以下 2010年4月22日記録


昨日は検診日、術後3カ月が経過した。
採血と心電図の検査があった。

Y主治医の検診もこれが最後となるだろう。

「いかがですか」

1週間前の火曜日、強風で日本中が荒れた日のことだった。
私はカメラを持って自転車をこいだ。
強風と向かい風に息も絶え絶えの状態になった。

あまりの息苦しさに帰宅して血圧を測った。
とりとめて驚く数値ではなく、どちらかというと低血圧。
心拍が上がっていると思ったが、、、
46だった。それが発端だった。。。


最近50や50以下の数値が表れてきた。徐脈である。
しかも高血圧だった私がどんどん低血圧になる。
かと思えば155/107だのと血圧が乱高下する。

おまけに息が出来ないという症状に陥り、
検診一日前には救急診療を受けようかと思うほどの呼吸困難。

が、ひょっとすると精神的な症状かもしれないと…
中止になっていた精神安定剤に手を出した。
症状が緩和された。



医師に伝えると…

「あなたは診療内科で治療を受けたほうが良い」

「心療内科とは以前の精神科のことです」と加えた。

知ってる。


「本当に狭心症であれば救急車を自分で呼ぶことさえできません。
 リーゼを飲もうというゆとりもありません!」

とも加えられた。


一時悪化した肝臓は完全に正常値に戻っていた。

心電図も良好だった。

これで心臓血管外科は事実上卒業である。

次の検診はかかりつけ内科を介して1年後となる。


最後に質問をした。

「私の残された2本の左冠状動脈の狭窄の手術はいつごろになりますか」

「え?????」

1年に300~400件の心臓血管疾患の手術を執刀なさる医師である。

そういうこともあるだろうと予想していた。

(忘れているのだ)


困難を極めた私の弓部大動脈瘤手術時に時間との闘いで
バイパス術は3本のうち1本だけを施術したこと
先生は忘れていらした。


私の動脈の動画を診て、改めて手術のときを思い起こされたようだ。
同病院の循環器内科を紹介していただいた。


私は今度は循環器内科の患者となった。


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その1週間後

2019-02-23 15:08:08 | 心臓血管外科検査

以下 2010年3月3日記録


入院を断って肝機能障害が治るとも思えず
家族の心の準備も出来たところで
入院覚悟で再診を受けた

案の定肝臓の数値はさらに悪化していた。

採血のほかに肝臓、胆のう、腎臓、膀胱のエコー検査も受けた。
膀胱は尿が溜まっていないから
エコー検査が出来ませんということだった。汗

肝臓の数値は多くが3桁代に達していたが
それほど危険な数値でもないということで
今回は入院を見合わせ帰宅を許された。

どの薬が肝機能障害を起こすのか判らないまま、
また薬が変わった。

解決しないまままた2週間の先送りになった気がした。
しかしながら今回は肝臓の治療薬が出たので少しはましになるか?

いつまで経っても病院と縁が切れない。
もういい加減 厭になった。
なので病気であることを忘れることにした。

……果たして?



今回の血小板凝集を抑制剤は
プレタール錠100mg

と、

肝機能の薬グリチロン配合錠


この時から主治医が変わった。
執刀医はわがまま患者を相手にしたくなかったのかなぁ?
笑笑
ご都合が悪かったのかも?


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入院です! イヤです!

2019-02-23 14:43:30 | 心臓血管外科検査

以下 2010年2月23日記録


相変わらず苦しい呼吸に悩まされながらも時は経過していった。
それでも症状はいくらか落ち着いて
脈拍は80代に下がることが多くなった。

2月23日は1カ月検診だった。

医者に到着してすぐに5つの検査を受けた。

① 採血
② 心電図
③ レントゲン
④ CT(単純)
⑤ エコー

検査が終わってYドクターの診察室の前で待った。
この検診をクリアできれば、後は1年後と聞いていた。

その前に足に関するアンケートに答え、
アドバイスを希望していたのでナースのアドバイスがあった。

私の足には長さ25センチ以上の術痕がある。
(バイパス術の血管を取った)

神経が切れたのか、殆ど感覚の無い部位がある。


足の切断にもなりかねないので血行をよくする
運動などをするようにとの指示でした。
(何だかいつも脅されているような気がした)


それからしばらくしていつもの執刀主治医の診察が始まった。

私は夫の指示で血圧測定、体重測定、脈拍をはかっていた記録を
PCのエクセルに落としていた。
分かりやすいと思ったので印刷していた。
それを医師に渡した。


医師は言った!

こんなことしなくて良いんだ!
あなたは神経質すぎる。
もっとおおらかに生きなさい!

ねえ、空蝉さん、人間死ぬときは死ぬのよ!
一度は死ぬのよ。
良いじゃない!


せっかく助けていただいた命だし…
医師の前で決して口にしてはいけないと思っていた「死」
医師の口から聞いてしまった。
私は思わず笑って頷きました。

私の夫はどうやっても私を管理したい。
しないではいられない40年間だった。
こうなった原因にもこの性癖が絡んでいる。
(先生、神経質なのは夫です!)



「それより肝臓の数値が悪くなってる。
 入院です!!! 
 治療のため2週間を予定します」

にゅ、入院???

「今入院できません。娘が病気になり介護が必要になりました」

「……では、今日は注射を2本打って帰ってください」

そういって、次週の予約を入れた。
自分の予約はいっぱいなので別の医師に予約します。

どの薬が肝臓に影響したか分からないので薬を総入れ替えしますと言われ
ワーファリンとさよならした。


名医で名高いこの医師の指示を拒絶する私も相当であるが…
私の介護と娘の介護でテンパッている夫の気持ちを汲んだ
夫はもう持ちそうにないと思った。

娘の病気はストレス性で自身の体を攻撃する免疫異常の病気である。
未だはっきりとした診断はくだっていない。

娘の病気は私の入院とほぼ同時期に発症した。


これはもう私の人生じゃない気がする

人生にここまでの窮地があるんだ・・・・・


※ 資料を繰ってみると本当に肝臓の数値が全面的に
  ものすごい高い数値でボロボロ。笑える!
  (2019.2.23記)



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