草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

死にかけてみる美しいもの

2019-02-22 15:14:35 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月6日記録


1月6日、主治医から正式に一旦退院の許可が下りる。
明日午前中に退院することにした。


午前の回診の医師との会話↓

「私は不思議にもこの病気を宣告されてから未
 だに一度も落ち込んだことが無いんです」(私)

「前向きの人はすごく回復が早いんですヨ~!」(医師)

脳細胞が単純な私はそれを聞いてご機嫌になった。



荷物も整い午後からは余分の時間が出来たので図書室に顔を覗けた。
患者が一人本を読んでいた。
8階の図書室からのロケーションに感動した。

大きな河が公園に沿ってS字に蛇行するその対岸に城がそびえ立っていた。



何だか嬉しくなって隣にいた患者さんに声をかけてしまった。

「死にかけてる病気になって初めてこの美しい景色を見せてもらった!」

「死にかける病気にならないと見えない景色なんだよ^_^;」

とその人は言った。


「まさに!!!」二人で高笑いした。

不思議な縁でこの方とは手術日が同じだったようだ。

その時はまだそんな運命を知らなかった。


翌7日には薬剤師、看護師などから退院後のケアについて
詳しい説明を受け無事 退院できた。


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私、今日帰るんです!

2019-02-22 15:09:17 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月5日記録


1月5日、6時前看護師さんがいつもの検温、血圧測定に来た。
そのまま起床し洗顔し、化粧などもして帰り支度を始めた。
何しろ昨日主治医がそろそろ退院と言ってくれたのだから。^^


今日から投薬が始まった。
入院して以来初めての薬だった。4錠服用した。

私の3本の冠動脈全てに狭窄が見つかり(狭心症)
その数は6か所だった
3本の狭窄は18日予定の人工血管置換術の際に同時に行うと伝えられた。

尾籠な話で恐縮ですが、カテーテル検査の後遺症というのか?
子宮側からの出血が2度あった。

へえ!と驚いたがそれ以上何も起こらなかった。

今になって考えると男女によって出血場所も異なるのだろうか?


深くも考えず帰宅用荷物の整理も終え万端整った。


9時過ぎ医師の回診があった。
カルテを見ながら「大変ですね」と同情してくださった。
それには答えず「私、今日帰るんです」とほほ笑んだ。

医師は怪訝な顔で退室して行かれた。


いつまで待っても誰も来ない。
請求書も来ない。


へっ? 退院じゃないのお???
荷物まで作ったのにぃ(゜o゜)???



誰も来ないまま夜を迎えてしまった。。


うそぉ。


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どよ~~~ん。

2019-02-22 14:48:50 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月3日までの記録




元旦はこうしてご来光を礼拝しのどかに過ぎていった。

2日は朝から微熱が出たが気分はまあまあ。
ただ胸部や背部の痛みは続きモーラステープを貼付していた。

10時ころ主治医が来て…
「造影CTの検査結果で心筋梗塞一歩手前の狭心症が見つかりました。
1月4日にカテーテル検査をします。
「あなたの血液中のヘドロが脳に上がり梗塞を起こす可能性がありますので
 ご家族の付き添いをお願いします」

と言い渡されました。

どよ~~~ん!!! 

の、脳梗塞???(゜o゜)


微熱は時間を経過して少しずつ上昇し、37.6℃になった。
アイスノンで翌日には解熱した。

こんなに元気(?)でもカテーテル検査を受けて梗塞を起こしたら
もう話すことも歩くこともできなくなるかもしれない。。。

ショックが大きすぎて翌日も微熱が出た。

だんだん寡黙な人になっていった。


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2010年三が日

2019-02-22 14:30:39 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月1~3日の記録より

日がな一日何もすることなく治療といえば安静。

発熱してもアイスノン(氷枕)のみ。
朝から晩まで本を読みあさっていた。

晦日、大晦日と2日が過ぎ…正月を病院で迎えた。

晦日の食事とことなり大晦日の年越し蕎麦の代わりに
こんにゃくで代替。



お、美味しい !!!
あ~ハハハ ♪♪♪



開けて元旦には6時に起床しご来光に柏手を打ち、
…といっても日の出は7時半近く。

8時に朝食が運ばれてきた
膳には病院長からの温かい賀状が添えられ
朝食には御品書まで添えられていた。




三が日は大体こんなメニュー





病気など忘れて幸せを感じる。


人間の本文は「食べるために生きている」ような気がした。




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消灯

2019-02-21 23:01:01 | 心臓血管外科入院

以下 2009年12月30日記録より


入院当日は造影CT検査を受けて終わりだった


ウロウロして良いのは7階のフロアのみで入浴も禁止。

本人はいたって暢気で落ち込むこともなく静かに過ごした。

先のことも考えず、考えてもどうにもならないし…
暢気に本などを読み暇な時間を潰した。


夜が来た。

消灯は9時半。? 九時半。?? 9:30 ???

家では常は毎夜1時、2時の就寝だった。
眠れるわけがっ……ない!!!

睡眠導入剤を服用したが一向に睡魔は襲って来ない。

相当脳の神経が興奮しているようです。

病人だから10時、11時には寝よう。
うつらうつらとした。



目が覚めた 今何時
11時半。

今 寝たばっかじゃん
うぅ、眠れない。

だからといって今からテレビでもない。
明かりを点けて読書でもない!


恐ろしい夜の始まりでした。。。

長い、長すぎるぅぅぅ!


夜との戦いでした。


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初めての心臓A食

2019-02-21 22:20:50 | 心臓血管外科入院

以下 2009.12.30記録より

入院を言われた私は諸手続きを終え、病室も決まり
車いすで部屋に案内された

『く、車いす? 私が? 歩けますぅ!』

しかし、看護師さんの命令だしくすぐったいけれど
従いました。妙な感じでした。

「お昼出ますからね」(看護師さん)

「はい」(私)


出ました。




「へ? う(絶句)」

こ、これ??

心臓病A食というのが私の食事です。


ご飯の量は私はいつも少ないので全然気になりません。
ところがおかずの量が少ない
ブリの切り身1/2だとか、魚によっては切り身1/4しかありません。

ほとんどが野菜が主流の食事です。

塩分控えめも我慢できます。

が、ほとんど酢での味付けが辛かったです。


私はキリギリスになったような気がしました。

私の好きなコーラと最近好きになったラクトアイス
「爽」は厳禁となりました。
何度訊いても厳禁!

この時はまだ事態が飲み込めていない私なのでした。


夫は早々に帰宅し、準備した荷物を運んでとんぼ帰りです。
姉夫婦の車に乗せてもらいました。
私たち夫婦は車の免許を所有しておらず…

これって何十年、大きなストレスの原因でした・・・
私もトライしたのですが、途中夫の転勤が入って
それきり免許取得ならずでした。
個人教授に払った18万円はドブの中でした。


諸々何にしても今後こんな不味い食事を食べるしかない?


病気を置いて何を贅沢言ってるんだか?


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大動脈瘤破裂の兆し

2019-02-21 22:07:23 | 心臓血管外科入院

病気の宣告を受け12月は特に忙しく過ごした

生死にかかわる病気なのでそれなりの準備が必要だった

まずは借りまくっていたネットの無料スペースを片端から解約していった

申し訳程度の遺言状は直筆でなくパソコンのドキュメントへ
貧民ゆえに財産も無く、家族への礼と願い事くらいだった

それからは12月のスケジュールをこなしながら入院の準備を進めた

その間、自分の身に起きた大ごとが実感としては結びつかず…
穏やかに心乱れることもなく過ぎて行った。




2009年12月30日


年賀状も早々に仕上げ、そろそろ暮も詰まってきたころに
胸部、背中、頭部にも痛みがともなうようになっていた

ことに台所仕事に苦痛を覚えた。
休みながら作業を進めるも次第に困難になり始めた。

正月の買い物は夫が私のメモを頼りに進めてくれた。
29日、私の声はほとんど人に伝えることが出来ないほどの声量になった。
かすれた上にヘリウムガスを吸い込んだような声になった。

風邪を引いた様子はない!


翌朝 晦日の朝は声は無音……?
声が出せない、出ない。

相変わらず胸部、背部に痛みが襲う。
この痛みは安静の状態を保てば感じない。

が、その日は晦日で正月料理の準備に入っていた。

数の子の塩抜きのために前日から水に晒し、今日は皮取り。
数の子を土佐醤油に浸し、松前漬けを作ったところで作業を止めた。


家族が心配し医者に行くよう再三勧める。
しかし、入院予定は翌15日である。
病院は休日に入っている。
何より億劫でたまらない私はそれを拒絶していた。

が、家族の身になって考えれば心配は当然で
自分の思いだけを通すのは間違いだと気付いた。

自分が逆の立場であれば何が何でも医者に行かせることは必至だ。


夫が病院に電話をかけ救急診療を受けることになった。
夫は手放せない用事があり後で私を追うことにし、
私は先にタクシーで病院にかけつけた。


「瘤破裂の危険がありますのでこのまま入院してください」

これが1度目の入院だった。


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