草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

薬が恐い

2019-02-23 16:10:11 | 心臓血管外科入院

以下 8010年3月8日(月)記録

入院5日目


6時50分採血
9時20分 医師の回診

10時10分に新しい薬が加わる
プラビックス錠75mg
血小板が固まるのを防ぐ作用があり、
血管内で血栓ができるのを抑えます。
また血小板の粘着力を下げる作用もあります。

昼食後より開始したが今や私は薬ノイローゼ状態である
内服したあと体調がおかしく感じられる。

酸素91%(いつもは95、6%)、脈は84
ああ、動悸が耳、お腹、全身に感じる恐い!
(血中酸素濃度)


諦めて夜を迎えた。
またF医師が見舞ってくれる

「いかがですか?」

「私は薬ノイローゼで良いのか悪いのか?よく判りません」

「外出許可を出しますから気分転換してください」

F医師が退室したあと、日課になっている夫への電話をかけた

夫は友人たちや姉たちに長電話をするなとうるさくメモ紙などを
渡すくせに自分との電話は非常に長電話を要求する。

気分が悪くなったので電話を切るというと怪訝、かつ不服そうだった。


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今後の治療方針

2019-02-23 15:55:05 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月7日記録


今日は日曜だというのにF医師がヒアリングにみえる。
F医師は最初の入院からの主治医である。

「いかがですか」

「快調です」

今後は月曜の採血結果を診て薬を投与していくこと
血栓の薬を再開する予定であること
ワーファリンやバイアスピリンなども肝臓に影響することがある
などを話していただいた。


不安に思うことを相談した


バイパス術に使用した静脈の血管は左脹脛(ふくらはぎ)から切除している。
その手術のために神経が切れているらしく(?)
ほとんど触っても感覚のない部位があること。

時間の経過で回復可能と言われた。

↑回復しないで今も痺れたまんまなんですけど!?

※ ずっと気にしないようにしてるけど7年半後の今も痺れたまんま。



バイパスに使用した静脈の血管の寿命は13年が限界であることを訊いた。
これまでの例では13年以上もっている人もあると答えが返った。


大きな不安としては自分の血管が90歳年齢であること
狭心症がまだ2本の冠状動脈に3か所残っていることなどを伝えた。


私はプレタールを処方していただいた医師に少なからず恐怖を抱いていた

小さな声で「……K医師がプレタールに見えるんです」

と加えてしまった。


F医師は思わず噴き出した。

これを言わなければ17日にまた検診の予約が入っているのだから

「17日の予約は取り消しですよね?」

「はい、取り消しです」

ほっとした。


3度目の入院の日々にも慣れ、
前回の入院でお世話になったフロアに上がってみた。
丁度私を担当してくれた看護師さんが居て挨拶した。
看護師さん方はお忙しいので礼を延べ早々に立ち去った。


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メインテート2.5mg

2019-02-23 15:49:38 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月6日記録


プレタール錠100mgは5日のうちに体から抜けた。
僅か2錠飲んだだけで3日苦しんだ。
薬の副作用とは恐ろしいものだ。


6日 F医師より新しい降圧剤のメインテート2.5を半錠を処方される。
(降圧効果と心臓の負担が減少し不整脈、狭心症の症状を改善する薬)


プレタール錠が体から抜けると後は肝臓の治療だけになる。
朝と夜の2回ネオファーゲンの注射するためにだけの入院…
薬が体に合うかどうか様子を見ながら処方していく

悪いところといえば食欲が今一つ出ないことと、
フロアを歩くと咳が出て、呼吸がやたら苦しいくらい。
後は病人とは思えない良い笑顔と化粧なんかもして…


夕7時すぎにまた注射
優しい看護師さんが言った

「あれ?液漏れしてるみたいです。痛くないですか?」

「痛くないよ」

「でも、やっぱりこれ液漏れです。膨らんできたもの」

「じゃあ、もう一度やってください」

本人は液漏れしているというのに全然気づかない。
痛みも感じない??? やり直して成功した。


8時50分、夜勤の看護師が入室してきて
「消灯します」と言って部屋の明かりを全部消して出て行った。

黙って出ていかれても…大きく「おやすみなさい」と声をかけた。
「おやすみなさい」と返ってきた。


私の部屋は個室なので自分の良い時間に消灯すれば良いと聞いている。
もう一度明かりをつけるのも気がひけたので小さな明かりだけつけて
しばらくして就寝した。
というより他にすることがなかった。

こうして入院3日目の夜が過ぎていった。

ふうっ、何か退屈。。


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暗い、部屋も心も。

2019-02-23 15:39:05 | 心臓血管外科入院

入院2日目 3月5日

こちらの階は病床数が以前のフロアの何倍もあった。
大部屋も多く、個室も差額ベッド代が3万円以上する部屋もある
私の個室は一番安価な部屋だった。
でも暗い。
晴れても降っても全然判らない8階建の4階だから上も下も見えない。

安心なのは今回は絶対に手術が無いこと。
心にもゆとりが出来て…朝から化粧なんかもした。

朝のスタッフの交代で私の担当看護師さんが計測に見えた。
優しげで動作はてきぱきと機敏。
患者の話を親身になって聞いてくださる。

看護師さんは皆ほんとうに忙しい。
多いときで8人くらいの患者を担当するそうだ。
1日中走り回っている。
なるべく邪魔をしないよう気遣うがときにお喋りをしたくなる。


ネオファーゲンの注射を受けた。
注射後腕が赤くなるのはアルコールに浸した消毒用綿を
そのまま注射痕に貼り付けるからだと思った。

別に痛くも痒くもなく、ただ赤い班ができるだけ。
看護師さんに話して結局アルコール消毒禁止となった。
アレルギー反応だったようだ。

午前中に薬剤師さんが直接話しにきてくださった。

「ドクターと相談しながら投薬していきます」

昨日から薬はストップしている。


F主治医が見え、肝臓の数値は下がってきてはいるものの
まだまだ数値が高いのでこのまま入院加療します
薬は今しばらくは中止し、様子を診てまた新たに投薬を開始します
と言われた。


午前中いくらか脈が落ち着いていたけれど再び脈が速くなった。
安静にしひたすら読書に耽り 夜を迎える
肝臓治療のネオファーゲンの注射後、夜勤の看護師が異常が無いか
心配して声をかけてくれた。


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看護師さんもいろいろ

2019-02-23 15:34:16 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月4日記録


看護師さんたちは夜勤と交代した後必ず挨拶に見える
「担当が代わりました。○○です。宜しくお願いします」と。

夕7時に肝臓の治療薬(多分ネオファーゲンという薬)の
静脈注射を1本打った。

途中 息苦しくなり「ちょっと苦しいんですけど」

と訴えた。

動悸がさらに速くなった。


看護師は慌てて私の脈を測った。

「不整脈かな?」

脈をとって…

「速すぎて判らない」(゜o゜)

そう言って慌てて退室していった。



てっきり医師を呼びに行ったと思って待った。


そのうち動悸の高鳴りも治まった。

看護師さん、どこへ行ったのかな?
いつまで経っても戻ってこない

症状が治まったから…まっ、良いかあ?



1時間半経ってフロアから外の夜景を見ようと部屋を出た。
さっきの看護師さんとフロアで会った。

「だ、大丈夫ですか?」

心配そうに声をかけてくれた。

「大丈夫ですよ、あれから治まったから」

(今ごろそんなことを聞かれても…ネェ
  大事に至らなかったから良かったものの…)

以後 一度もこのナースは私を担当することはなかった。

私は告げ口もしなかったけど…どいうこと???


フロアによって看護師さんもいろいろなのかな??

注射の痕が赤い? どうしたのかな?


駐車の跡に濡れたアルコール綿をつけたままで
かぶれたのでした。

ほ~んと! 看護師さん いろいろだ。


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プレタール錠100mg

2019-02-23 15:22:34 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月初旬 <3度目の入院>記録


その日の夜、つまり3月3日の夜である。
新しく処方された薬「プレタール錠100㎎」と
「グリチロン配合錠」を服用した。

プレタール錠100mgは…血小板の凝集と粘着力を抑制し、
塊や血栓をつくるのを防ぐ……
つまりワーファリンの代用の薬です。

グリチロン配合錠は肝機能障害のための治療薬


薬を内服して脈が早鐘のように拍動し始める。
それでも術後退院直後は脈拍は100を超えることも
しばしばあったので気にしないように就寝した。

娘は体調が悪いらしく愛犬は私の寝床にもぐりこんできた
布団の2/3を愛犬に陣取られ…一層心臓が苦しく感じられた
それでも睡眠導入剤のお陰でなんとか眠れた。

大したことはない。
術後はこんなもん!と自分に言い聞かせた。


朝はまた指示通りプレタール錠を内服した。

夫は私の入退院で家事と病院の往復、
娘の介護(?)から犬の面倒まで…
もうへとへとに疲弊しきっている様子。
昼には必ず2時間くらい眠っていた。


私の脈拍はどんどん速くなり、ついに120を超えるほどになった。
く、苦しい!
耐えられる状態ではない!


さっき寝床に着いたばかりの夫を起こした。
すぐ病院に電話を入れてくれた。

返事がなかなか戻らないので再度電話を入れ救急で病院に向かった。
着の身着のままでタクシーで病院までかけつけた。
いつもの心臓血管外来は通さず救急診察室へ車いすで運ばれた。



心電図を装着し、医師が内診した。
薬剤薬局へ電話を入れプレタール錠の薬効を訊いていた。

「やっぱり、ああそう、はい…」

そんな会話が聞こえた。
(やっぱりプレタール錠の副作用だと思った)

「空蝉さん、この症状はプレタール錠の副作用です」

しばらく間をおいて…

「空蝉さん、この症状は薬が体から抜けるまで続くんですよ」

「……!」

「しかも空蝉さん、あなたの体にはこの薬が必要なんですよ……」

「ぅう…」

それから元の主治医F医師と交代した。


入院した。


入院用具は姉夫婦が車で運んでくれた。
いつも二人の姉に守られて幸せ……(汗)
夫も私も免許を取得していないので…

部屋は空いたばかりの個室に入った。
その部屋はナースセンターが良く見え、廊下の窓だけで
外のロケーションは無かった。
暗い部屋だった。

苦しさは続いて食欲はまったく無かった。

娘と夫のために入院を断っておきながら、
苦しさに負けて入院した。苦笑


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もっと驚愕な事実

2019-02-22 18:18:08 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月17日記録


この日私は健常者(もどき)最後の日を迎えた。
今日の予定は午後から翌日の手術に備え体毛を剃り入浴のみ
のんびり過ごせる最後の日だった。


が、11時半に執刀主治医が部屋を訪れ手術の変更を伝えた

昨日の手術の説明では冠動脈のバイパス手術は2本行う予定でした。
病田さんの血管が細すぎるのでバイパス手術に時間を取られてしまう。
会議で議論の末、バイパス手術は1本のみ行うことになりました。

弓部人工血管置換術にその時間を注ぎたいのでということだった。
冠状動脈の狭窄(狭心症)2本は後にステントグラフとを一緒にやりましょう。




ようやく自分の置かれている状況が飲み込めた。
昨日の説明にあったイボガエルの大動脈、
足の動脈のほうまで血管の外壁が泡立つように隆起していた。
余程難しい手術になるのだろう。


家族が帰っていった。

しばらくして若い可愛い看護師さんが入室し検温などの検査をした。
看護師さんと談笑しているうちそのことに触れ…

「私はこれまでこの病気を知って一度も落ち込んだことも、
  泣いたことも無かったのよ。
 でも、バイパス手術…3本が2本に、最後は1本だけになって…
 どれほど厳しい状況にあるか分かったの」

と、ここまで話しながら急に眼が潤んできてしまった。

若い看護師さんはその愛くるしい目に涙を浮かべて聞いてくれている。
心配をかけてはいけないので「ごめんね」といい涙をこらえた。

以後 私が泣くことは二度となかった。。


看護師さんも居なくなってぽつんと部屋に残された。
もう涙はなかった。泣いたところで何の解決も得られない。

午後3時過ぎ私を担当してくれる看護師さんが
お臍の消毒と必要個所の体毛をバリカンで剃ってくれた。

これで覚悟だね。


バスルームに入り入念に体を洗浄した。
当分入浴はできないのだろうな。


また夜を迎えた。
眠剤を飲んだところで睡魔は襲ってこない。
それでも眠らなければ……!


そうだ、私は一時的とは言え、心肺停止状態になる(?)
機械の中で呼吸をし、心臓以外の人工心臓が動いてはいるけれど…
臨死体験とかあるのかな? そんなことを考えた。。

余計眠れなくなった。

ベテラン看護師さんが言った。
「明日からゆっくり眠れるから」

ハハハ、弱く笑い返した。


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分散送血

2019-02-22 18:10:50 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月16日記録


インフォームドコンセントではこんな話も伺った。

私の血管年齢は90歳ちかい人の状態でしかも稀な血管だそうだ。
パソコンの画像ではコレステロール、脂肪の付着が
まるでイボガエルの表皮のような泡立ちを見せていた。

どうして??? 医師は首を傾げていた

(私には理由が分かる気がした…食とストレスが原因だ)


解決策は鎖骨近くの動脈と足の動脈の2か所から分散送血を行います。

血液を抜いて心臓を止めて人工心肺で呼吸する。

25℃に体温を下がってから施術する。

手術予定時間は10時間。


術後も狭心症の治療として血液をさらさらにするために薬の内服を続けること
食生活、生活習慣を元に戻すとすぐ血栓を起こすと言われた。


医師の説明は1時間半に及ぶインフォームド・コンセントだった。



私はこの病気の宣告を受けてもまだ落ち込んだことがなかった。
罹ったものは致し方なく、俎上の鯉になるほかないと思えたからだ。


それでも「自然淘汰」ということばを考えないわけではなかった。
『優良なものが生き残り、劣悪なものがひとりでに滅びていくこと』

敢えて、生き残りたいと思ったか?死が恐かったか?
というより、苦しみや痛みが恐いと言ったほうが良いかもしれない。


他人さまはどうだろう?

「この手術を拒否なさる方は居ますか?」
最後に医師に問うてみた。

「居ますよ」

「強い方ですね」

「何が強いものか…手術しないで済む病院を探しまわるのです
 破れたら必ずここへ戻ってきます。
 吐血したらもうアウトなんですよ。
 もう 助けることは出来ません!」

その方はデパートで破裂しお亡くなりになったそうです。


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インフォームドコンセント

2019-02-22 18:07:05 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月16日記録



2度目の入院でいよいよ手術前に執刀主治医から
インフォームドコンセントを受けた。

内容は厳しいものだった。

私の弓部大動脈瘤の位置が非常に悪い。
そして性質も悪い。
女性の危険域は5cmであるが私の場合は6cmを超えている。
手術を待っている間にも破裂しかねない。

※ 破裂すると助かることはないそうで(弓部に関しては)、
 破裂の苦しみは壮絶で即死はできないそうだ。
 激烈な痛みと吐血に悶絶しながら息絶えるそうだ。

 破裂は夜が多いそうだ。

 心筋梗塞もやはり即死は少なく激烈な痛みを伴うという。



破裂患者が深夜にこれでもかこれでもかと救急搬送されてくる。
こちらも人間だから「もう勘弁してよ」と言いたくなる。


私の血管は年齢の割にコレステロール、脂肪、ヘドロ、血の塊が多すぎる。
60才前半でこの例は非常に珍しいというか見たことない。

腹部 左足に狭窄があり、あり、瘤になりかけも複数個所ある。
これらは動脈硬化が原因で狭窄、瘤ができる。

右冠動脈他左2本にも血管に狭窄がある。
検査自体に脳梗塞の確率が高いのでカテーテル検査さえできない。
1月4日に終わっちゃったもんねえ。

一番大事な左冠動脈にカテーテル検査が必要。
50%だとまだ処置の必要はないが、75%の狭窄であれば治療が必要。

狭窄治療の方法として
①薬
②カテーテル治療
③バイパス手術
  手術時間は20~40分 (2本治療では)
  リスクは傷が残る。
  自分の脚の静脈の血管を使う。

MRIの検査結果では脳の血管の狭窄は無い。

弓部大動脈瘤に関しては人工血管置換術を重視する。
術後の心臓治療を目的とする。

人工血管
 頸動脈を切って3分岐点から全部を置換する。

脳障害を避けるため
 心肺を停止する。そのため低体温(25℃)とする。
 その間、チューブで脳に血流を贈る。

体温を下げるのに30分、体温を戻すのに1時間半かかる。


それにしても私の血管の状態が非常に悪い。
血管の中がデコボコ、コレステロール、脂肪等のヘドロが
手術中にいろんな臓器に飛ぶ危険が大きい。


足の血管もひどく手の打ちようがなくて模索している。
最終案として左足(膝下)からバイパス血管を抜く予定だが、
血管が細すぎる。

さらに1分に4リットルを体内に戻すのだが、血管があまりに
ボロなので一挙に返すと血管が破れるだろう。
そこで2か所に分けて半分ずつ戻す分散送血をやることにしました。

9時半に手術室に入り点滴をしてゆき、10時半から手術実施。

手術は両足の鼠径部からやり、人工血管置換に要する時間は1時間半、
その後あちこちの出血を止血してゆく。

瘤の手術は16時まで、バイパス術終了は18時と予定している。
その後ICUに入る。
麻酔から覚醒するのに6時間掛かる。

麻酔から覚めるまで脳の状態は把握できない。
ICU 2泊3日で一般病棟に移れます。

動脈瘤は79才80才以降の年配者の病気である。若いのに…。
今回の救命確率は50%。

リスク

 動脈硬化がひどい血管の状態のリスクは
 トラブルを起こしやすい。
  ・出血
  ・余病がたくさんある内臓には食道に孔をあけてしまうことがある。
   食道に孔があくと死に至る。
  ・感染症、人工血管に黴菌がつくと手の施しようがない。1/200の確率。
  ・心臓に水が溜まることがある。
  ・反回神経に触らなければならないので嗄声になる可能性がある
   水をのむときに孔が空いてむせることがある。上手に飲む練習をする。
  ・腎梗塞、肺梗塞、他いろいろの梗塞の危険がある。
  ・運動しないとエコノミー症候群で血流が悪くなる。
  ・バイパス術の成功率は98%だが、2%の人は詰まることがある。
    私はその2%に該当してしまい、
     即行バイパス血管が詰まってしまったが、
     誰にも発見されず苦痛の中で4年過ごした。

と以上が執刀主治医の説明であった。
7年半前がリアルに今 改めて恐怖を感じる。

3個の新たな瘤の再発と思ったのは
当時から徐々に膨らみ始めていたのだった。



これが病気の真相だった。

※ 草案の記でも一度これを記載してことがありましたが、
  重大なことなので参考になればと再度記載します。


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二度目の入院

2019-02-22 18:02:46 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月15日記録


どう抗ってみても入院の日は迫る。

約束事だから行かないわけにはゆかない。
ついにその日が来てしまった。


午後一に入院。
前回の入院と同じ7階病棟に戻れないと覚悟していたが…
また7階病棟に入れることになった。

馴染みの看護師さんたちなのでほっとする
今回も片側の手首に名前を書いた認識ベルトを装着した。



この日 執刀主治医からの手術に関する説明を受ける予定だったが
主治医の出張で1日延期となった。


入院手続きを経て、首の動脈のエコーの検査、肺活量の検査を受けた。
2時半頃に麻酔科の医師から麻酔の手順やリスクなどの説明を受け
同意書にサインをした。



この日の夕食は「心臓B食」でかなり塩分が濃かった。

こんな塩辛くて良いのかな??

すっかり減塩に馴染んだ私の体が納得いかないようだった。
塩分の濃い食事って美味しいね^^



相変わらず眠れない夜が更けていった。。


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