親子でつながる子育て~抱っこ法~

抱っこ法の考え方をもとに、子育て中の親子やハンディを持つ方など、たくさんの方の心の支援を行っています。

障がいのある方の心のケア13 ~心棒(大人心)とぐちゃぐちゃな気持ち①~

2013年06月16日 | 障がいのある方の心のケア ネットワーク

障がいのある方の心のケアネットワークです。

今日は心の中の『大人心』と『ぐちゃぐちゃ』について説明します。

 

私達は、心の中に「こうありたい、こう頑張りたい」と思う 【 心棒 】 があります。

例えばお母さんなら、子供たちを愛情を持って育てていきたいという【 心棒 】があり、

お父さんなら、家族を養うために頑張って働きたい、または、会社に必要とされる社員になりたいなどと思う【 心棒 】があります。

小学生なら学校で立派に勉強したいと思う【 心棒 】があり、

看護婦なら、患者さんを助けたいと思う【 心棒 】があります。

これは、いわゆる大人心で、子供ならお兄ちゃん心とでもいうのかもしれません。

下の図の丸は私たちの心を表したもので、中の四角が【 心棒 】と思ってください。

 

サポート優&遊の『心のケア=対人援助技術』の中では、

【 心棒 】について、こう話しています。

 

心の中には、とてもしっかりとしていて、

現実に主体的に対応できる部分があります。

それを図では、棒で表します。

棒は、心の中で、すくっとまっすぐに自分を立たせる気持ちです。

自分の理性、思考力、知恵を働かせ、

現実に立ち向かえる力です。

 

その一方で、私たちの心の中には、

感情やストレスのもやもや(ぐちゃぐちゃのなぐり描き部分)があります。

心の中には、常に【棒】と【ぐちゃぐちゃ】の両方が同時に存在しているのです。

 例えば、お父さんなら、家族のために頑張って働きたいと思う【 心棒 】とともに、

もっと休みがほいいな、ゆっくり休みたいと思う【ぐちゃぐちゃ】が同時に存在します。

また小学生なら、頑張って勉強して立派なお兄ちゃんになりたいと思う【 心棒 】と、

もっといっぱい遊びたいよと思う【ぐちゃぐちゃ】が同時に存在します。

 

この【ぐちゃぐちゃ】は決して迷惑な存在ではなくて、

その人の体を守ってあげようとする大切なものです。

 

しかし時として、とても悲しいこと、苦しいこと、大変なことなどによって、

感情やストレスがたまり、

このぐちゃぐちゃが心いっぱいになり、

【 心棒 】をかくしてしますことがあります。

 

そうなると、本来心の中にある【 心棒 】が隠れてしまい、

ぐちゃぐちゃ、もやもやな気持ちに、心が振り回されてしまうことになってしまいます。

 

次回はこの心の中の心棒とぐちゃぐちゃな気持ちについて、

もう少しお話ししますね。

 

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障がいのある方の心のケア12 ~身体障がいのある方の支援一例・つづき~

2013年06月14日 | 障がいのある方の心のケア ネットワーク

前回は、身体に障害があるFさんの心のケアに至る経緯を書きました。

今日は、その続きをお話しします。

 

Fさんのセッションは、

入所に対して、予測できる心細い、不安だという気持ちを慰めることと、

Fさんの表現できない心を知っていくという内容でした。

 

その中で、Fさんが、

『自分は生まれてこなかったらよかった』

『お母さんやみんなに迷惑をかける存在』

と、考えて苦しくなっていることがわかりました。

 

身体障がいを持って生まれた方は、

生まれてからずっと、誰かのお手伝いが必要な方が多いです。

特にFさんのように、呼吸することも、食べることも自分ではできない、

また、入所という形で親しい人と離ればなれになってしまう

今までの生い立ちと、現在の状況から、

自分の生まれてきた意味を見つけられず、

自己否定が強くなり、

自分はみんなに迷惑をかける存在で、この世に生まれてはいけないんだと、思ってしまっていたんですね。

また、自己表現にハンディがあり、自己否定が強い方は、

何かつらいことがあっても、

それは自分が生きているための罰だと感じ、

すべてをあきらめて受け入れることが多いです。

 

Fさんには、自己尊重のための心のケアとして、

葉祥明さんの著書、『生まれてくれてありがとう』を朗読しました。

この本は、障がいを持つ子供を持ったお母さんが、

子供に、感謝とたっぷりの愛情を表現した、とても素敵な本です。

 

そして、Fさんが生まれてから今まで受けてきた愛情や、

Fさんが、たくさん人に与えてきた素敵なもの、

そして、こんなに周りに人がたくさんいる。

そしてそのみんなと、たとえ離れても、

心は離れないでつながっていることを確かめて、

 セッションを終了しました。

 

人の人生は、川の流れのように、前に進んでいきます。

そして私たちはその流れに流されたり、逆らったりしながら、どんどん先に進んでいます。

たとえその先が、自分の望んでいない不本意なことだったとしても、

我々はその先に進まなくてはいけないときがあります。

人生の中の、不本意だと感じることを、

自分が生まれた罰だからしょうがないと諦めながら、受け入れることと、

自分は一人ぼっちではなく、誰かと支えあう素敵な存在なんだと感じながら、

人生の中の不本意な流れを受け入れるのとでは、

生きている意味が変わってきます。

 

自己表現にハンディのある方は、前者がとても多いのですが、

心のケアでは、後者の自分を肯定した心を持って人生を進んでいけるように

支援していくものだと思います。

 

障がいを持つ方が、かけがえのない一人の人間として、

尊重できる社会になってほしいと思いました。

 

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障がいを持つ方の心のケア11 ~身体障がいのある方の支援の一例~

2013年06月13日 | 障がいのある方の心のケア ネットワーク

障がいのある方の心のケアネットワークです。

前回は、障害のある方の不自由さということで、

自己表現にハンディがあり、自己表現が苦手な方の、

内面世界と表現の実行の落差を埋めるのが、心のケアではないか、というお話をしました。

 

今日は、その自己表現にハンディのある、身体障がいを持つ方のお話をします。

 

私がかかわらせていただいたFさんは、身体障がいを持ち、

加えて、呼吸機能が弱っているために、気管切開をされていました。

気管切開というのは、気管に穴をあけて管を通し、そこで息をするためのもので、

気管に穴をあけているので、声を出すことができませんでした。

 

Fさんは、とても笑顔の素敵な方で、

職員が話しかけると笑顔で、『はい』という口の形をしながら返事をしてくれていました。

また嫌な時は、顔をうつむき加減にしながら、表現してくれていました。

 

そのFさんが、家庭の事情で、今自宅から通っている施設から

入所施設に入ることになりました。

 

入所が決まってから、Fさんから笑顔が消え、

いつもうつむいて、暗い表情をしていました。

そこで、Fさんを心配した職員が、心のケアを依頼してきました。

 

職員に聞くと、入所に関しての詳しいことは、

伝えにくく、またどこまで理解力があるかわからないため、

Fさんにはあまり話をしていないとのことでした。

 

そこで、最初のセッション時、入所に至った経緯や入所後の生活などについて、

詳しく説明してもらいながら、

Fさんの体の反応を見ていきました。

最初Fさんに触れたとき、とても固い印象がありました。

肩、首、背中、足、すべてを緊張させ、

悲しみや苦しさを我慢しているような印象を受けました。

セッションに関しては、次回にアップさせていただきます。

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障がいを持つ方の心のケア10 ~障害を持つ方の不自由さ~

2013年06月11日 | 障がいのある方の心のケア ネットワーク

こんにちは、障がいを持つ方の心のケアネットワークです。

今日は、障がいを持つ方の不自由さについてお話しします。

 

『ハンディのある方の心のケア』を推進する活動をされている

【 さぽーと優&遊 は、たくさんの人に心のケアを知ってもらうために、

『心のケア』に関しての本を出版しています。

その中の、

「 “心のケア”=対人援助技術 」と、

「 自己表現にハンディのある子供の心のケア 」

から、抜粋した文章の紹介に、私なりの説明を加えて

障がいのある方の心を知ってもらいたいと思っています。

 

 「自己表現にハンディのある子供の心のケア」の冒頭に、こんな文章があります。

 

ハンディを持つ人たちは、なんと誤解を招きやすい人たちなんだろうとつくづく思います。

自閉症とか、ダウン症とか、様々な診断名が付きますが、

概してこの人たちは、自己表現に不自由さを抱えている人たちである、

という印象を持っています。

健常な人たちと同じように、いろいろなことを感じたり、考えたり、また願ったり悩んだりする内面世界があるのに、

それを表現したり、実行したりすることに、

とてつもなく大きな不自由さを抱えているため、

彼らは、その内面世界が、ほとんどないかのようにみられてしまいがちです。

そこでこの人たちを、

「自己表現にハンディを持つ人たち」と呼びたくなるほどです。

 

私は、初めてこの文章を読んだとき、

「自己表現にハンディを持つ人たち」という表現は、

障がいを持つ人たちを、的確に表現した言葉だなと感心しました。

一つ、事例を挙げて見ます。

 

障がいを持った成人の女性、Cさんが、施設に通っていました。

その施設には、とても優しくて素敵な男性職員がいて、

何人かの女性利用者はその方がそばにいると、とても嬉しそうにしていました。

Cさんも同様に、その男性職員がそばにいると、とてもにこにこしていました。

 

でも、その男性職員はCさんだけを見るわけにはいかず、

А君も、Bさんも、みんなとともに過ごさなくてはいけません。

 

そのうちCさんが、ほかの職員をたたくようになりました。

職員は、なぜそんな行動に出るのか、理解ができませんでした。

何を怒っているのか…

もしかして男性職員を一人占めしたいのか…

 

そこで、心のケアのセッション(特別な時間を作って、ゆっくりと話をする)を行いました。

その中で、体を使ったお話しや、筆談によってCさんの心を聞きました。

 

『うらやましい・・』

『ほかの人は、たくさんお話をする』

『私は伝えられません』

『大好きって言いたい』

Cさんの心は、こんな気持ちだったんです。

でもCさんの行動からは、そんな風には見えませんでした。

 

Cさんの内面世界は、人を好きだという気持ちと、

お話ができる人へのあこがれ、

話せない自分の悲しさなど、

たくさんの気持ちがあったのですが、

それを表現することができなかったんですね。

 

障がいを持つ方は、

自己表現の不自由さがあるために、

内面世界まで疑われる

 

と、本に載っていました。

この内面世界と表現の落差を埋めるための方法が

心のケアだなと思っています。

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障がい者と虐待

2013年06月11日 | 障がいのある方の心のケア ネットワーク

こんにちは、ブログオーナーの永井です。

久しぶりにアップします。

 

今日は、障がいを持つ方の人権について、少し話をしたいと思います。

 

私は成人の障害者施設で働いていますが、

私の施設では、障がいを持つ方の人権を、

とても大切にしています。

そして私は、その施設の人権啓発担当をしています。

 

障がいを持つ方の人権を語るとき、どうしても、

いたたましい「障がい者への虐待」について、語らなくてはいけません。

 

残酷な虐待事件に、「アカス紙器」で働いていた20数名の「知的障害」を持つ従業員に対して、

日常的に殴る・蹴るの暴行や性的虐待を行っていた水戸事件や、

福岡県の知的障害者更生施設「カリタスの家」で

入所者に炭や唐辛子、菓子の包み紙を食べさせたり、

熱湯で入れたコーヒーを飲ませ、口や食道にやけどをさせたカリタスの家虐待事件などが、

世間一般に知れ渡っています。

 

 この悲しい事件に対して、平成24年、

障害者虐待防止法が施行され、現在、虐待の通報が徐々に増えてきているようです。

 

しかし、実際は、障がい者虐待は、

世間の目に触れることのできない場所で起きています。

 

私も以前、虐待が疑わしい事業所とのかかわりがあり、

市町村に掛け合ったり、

通報を行ったりしましたが、

どうしようもなかった経験があります。

 

その時は、障がいを持つ方の苦しさや悲しさを感じてやるせなくなったり、

自分の非力さに絶望したりする日々が続きました。

 

その中で、どうやったら、

障がいを持つ方が一人の人間として、

社会で幸せに暮らしていけるのか、

また、その中で自分は何ができるのかを考えました。

 

そして、今、障がいを持つ方が幸せに暮らしていくために、

障がいを持つ方の心の理解と支援について、

社会や施設職員、親御さんたちに広めていけたらと思うようになりました。

 

少しでもたくさんの方に、

障がいを持つ方の心と想いが伝わったらいいなと思っています。

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