私はまた一つの大なる望みが起こりました。それは天主様のみを愛する事、天主様のみを想うて喜ぶという事でありまして、私は聖体拝領後の感謝の祈祷の中に度々「ああ主よ、口に言うべからざる甘味よ、願わくは現世の全ての快楽を私のためにことごとく憂いに変え給え(キリストの模範3の26の3)という言葉が自然に出ますので、ちょうど子供が愛する人から聞いた言葉が、たとえ意味が分かりませんでも、これを繰り返しているように、私もこの言葉をそのまま繰り返しておりました。そして聖主がいかにして、私のこの希望を果たせてくださったか、またいかにしていつも聖主のみ私にとっていうべからざる愉快の喜びの基であったかは、後に母様に申し上げましょう。もしただいまこれを申し上げますと私の中年時代に先立つようになり、かつまた幼年時代のことについて申し上げたい事が沢山ありますから……。
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