私は第二に聖体を受ける少し前から、何事にでも無駄に気づかいするという恐ろしい小心の病気に罹りましたが、一度試みに罹った人でなければ、とてもその苦しみを悟る事が出来ません。私は二年の間この病気にひどく苦しめられました。私の想いや仕業や、子細なことでも皆悲しみと憂いの種となり、これを長姉マリアに打ち明けてからでないと安心しません。しかし私の全ての想い、殊につまらぬ事までも、ことごとく打ち明けねばならんと思っていたから非常に辛くありました。そしてこれを打ち明けますと一時安心する事が出来ますが、この安心が稲妻のごとく過ぎ去ってまた他の心遣いが起こるのであります。これが為に長姉はさぞうるさかったでありましょう。また彼女自身にとっては忍耐の徳を守るよい機会となったでありましょう。
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