ナーブルに行ったときに聖マルチノ修道院で愉快な散歩をしました、この修道院は少し小高い丘の上に建てられてあるので、このナーブル市の全景が見えます、帰途馬車の馬が暴れたので真に危ないことでしたが、無事に立派な宿屋に着くことが出来たのは、全く我らの守護の天使のご加護であったのでありましょう、いま立派な宿屋と申したのは少しも褒め過ぎた言葉ではありません、実はこの旅行中いつも贅沢を極めた宿屋に泊まりました、今までこういう派手な建物を見た事がありませんでした、真に栄誉や財産は真の幸福を与えるのではないという事を経験しました、私はこの時にこういう栄華な境遇に居りましても、蝋石の階段、絹の敷物の中におりましても、心の中に悲しみ愁いがありました、もしこれがカルメル会に入る許可を得ているならば、藁ぶきの家に居ったにせよ一層幸福で有ったでありましょう。
私はその時に喜びというものは、私等を取り囲んでいる物質の中にあるのではなく、私等の霊魂の中に住まいしているのであるという事を深く感じました、それゆえこの喜びは暗い牢屋の中におりましても立派な宮殿の奥深くにいる如く同じく得られるものであります。例えばただいま私はこのカルメル会の内に居て、種々と内外の苦しみ試しの最中でありましても、世間に居って何の不足もなく、殊に家族に取り囲まれる喜びよりもなお遥かに幸福であります。
先に申し上げました如く私の霊魂は哀しみの中に沈んでおりましたが、外部はいつも同じことで別に変っておりませんでした、私は教皇陛下にお願い申した事は、まだ人々に知れておらぬと思っていましたところが、間もなくそうでないという事をさとりました。ある日他の参拝者等が食事の為に皆下車せられ、私は姉と共に列車の中に残っておりました、その時ふと車窓から外を覗くと、ルグー司教様はそこを通りかかられ私の顔をよく見て笑みを含みながら「カルメル会の小さき修道女よ、どうですか……」と申されました。また参拝者中のある人も私に特別同情を寄せる様な顔付きをして居られるのを見たので、私の秘密は最早参拝者の間に公に知れ渡っているという事をさとりました。しかし幸いに誰からもこの事についてあてつけがましい話しがありませんでした。
アッシジ市でちょっとした出来事がありました、私は聖フランシスコと聖クララの徳行の光り香りを放つところ……すなわち生前住まいしておられたところに参りましてから後、修道院の内で帯締めを紛失しました、そしてこれを捜している間、一行の者に少し遅れましたので、急いで門外に出るともはや馬車が皆出発した後でただ一つ……一番畏れていたレベロニ副司教の馬車だけのこっていました、それでもすぐに出た馬車の後ろを追いかけて行こうか……そうすれば汽車に乗り遅れる……或いはこの馬車に乗せて頂こうか……どうしようかと非常に心配しましたがこのあとで確かな安全な方法を取りました、非常に困っていながらも少しも困っていないような態度をして、その事情を副司教に私は話しました、ところが最早この馬車も満員となっておりましたので、副司教は大層困られましたが、幸いにもその馬車に乗っていた一人の方はすぐに降りて代わりに私を乗せ、自分は御者の側に行きました。私はその時に罠に落ちたリスの如くでありました。司教様や神父や高い位の方々、殊に真正面には一番畏れている副司教が居られるので、真にきまり悪くありました。しかし副司教は至って親切に遇ってくださって、カルメル会の話を為す為に、時々他の談話までも遮られ、私の望んでいるように15歳で修院に入る事が出来るよう、自分の力の及ぶ限り尽くすという事を約束してくださいました。
私はこのお言葉を聞いて大いなる慰めを得ましたが、それでもなお心の苦痛は消えません、もはや私は人々に依頼するという心念を失っておりましたから、天主様に信頼するより他に道がありませんでした。
私の試みは烈しく大になりました、しかし天主様のお招きに応じて行くために私の力の及ぶだけの事を致したのでありますから、涙を流している時でも心の中に大いなる平和を感じておりました、この平和安心は心の奥底に潜み、苦い悲しみは充ちております。そしてちょうどイエズスは居られないように黙っておられました、御容姿を示される何の徴候もありませんでした。
この日にも太陽が光をあえて見せませんでした、イタリアの美しい蒼空は暗雲に閉ざされて私と共に泣くように大雨が降りました、私は許可を得ようと思った目的が外れましたので、もはやこの旅行は私にとって何の愉快もありません、しかるに教皇陛下の最後の御言葉は一つの預言の如くに私に慰めを与えるはずでありまして、種々の妨げが集まって来たにも拘らず、私の身の上は「天主様の聖慮」通りになりました、即ち天主様は人々が思う通りに妨げる事をお許可にならずして、御自分の聖慮通りに摂理うてくださったのであります。
私は少し前から、幼きイエズス様の小さき玩具になるために身を捧げておりました、そして幼きイエズス様に向かって「子供等が触る事も恐れてただ見ているばかりの貴重な玩具のように見做さずして、少しの価値もない手毬のごとく地に投げる事も、足でける事もまた貫く事も片隅に置く事も、なおお気に召すならば胸に当てることも出来る手毬のようにせられんことを」と願いました、約めて言えば私は幼きイエズス様の御手の中で、自由自在にせられる玩具としてイエズス様を喜ばせたい望みでありました。ちょうどイエズスはただいま祈禱を聴き入れてくださいまして。すなわちイエズズ様はローマに於いてこの小さき玩具を貫かれました、たぶん中に入っているものをご覧になるためでありましょう、そして中のものをご覧になって満足せられたので、その小さき手毬を御手から落としてしばらく眠られました、この静かな睡眠の間に御主は何をなさったでありましょうか、また落とされた手毬はどうなりましたでしょうか……?御主は夢うつつになられて時々この手毬を拾っては落とされ又遠くまでも転ばされしまいには再びこれを拾い取られてご自分の心臓に当て、今度は御手から離されませんでした。母様!この小さき手毬は地に落とされた時の悲しさを察することが出来ましょう、しかし目的が達する見込みがなくともなお心の底では、修院に入ることが出来るとふかっく信じておりました・
11月20日が暮れて数日の後、父とともに聖ヨゼフ学院の校長と創立者シメオン師を訪問致しました、ところが図らずレベロニ副司教に会いました、そのとき父は副司教に向かって私の難しき願いの場合に、なぜ助力しませんでしたかと、優しく申して後、校長のもとに行って私に関する事を話しました。この親切な老年の校長は大いなる興味を以って耳を傾けられ忘れない為にちょっとその大略を書記して後、大いに感動せられた様子で「斯様な事はまだイタリアで見聞きしたことがありません」と申されました。
忘れる事の出来ないこの謁見の翌日、私等はナーブル、ボンベイに行きましたが、ちょうど我らの一公を歓び迎えるようにベジユーブ山の大噴火口からは、祝砲の如くにさかんに濛々と火煙を上げて上げておりました、ボンベイ市にその恐ろしい光景の跡が残っております。聖書にも『主はこの地球を見て震わし、山に触れて粉となす(詩編103の33)』という句がありますが、これは天主様の全能を表す為であります。私は唯一人このボンベイに埋まった跡に起って、この世界の儚きこと、壊れやすいことなどを黙想しながら散歩したかったのですが、この市に長く留まることが出来ませんでした。