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小さき花-第7章~2

2022-09-25 04:46:56 | 小さき花

 私は唯今述べたようなことばかりではなくこの修院に入るや否やなおこれよりも苦い試しが、しばしば手を広げて私を迎えましたが、私はその都度愛を以ってこれを歓び迎えました、私は誓願を立てる前に公に知らせた如く、私が此の修院に入りましたのは霊魂を救うため、また殊に司祭方のために祈る目的でありました、目的を達する為にはこれを達する方法を採らねばなりません。イエズスは十字架を以って霊魂を救う恩寵を与えるという事を諭してくださったのでありますから、私は種々の十字架にある度毎に、倍々苦しみを愛するという心が強くなったのであります。そして私は五年間の間この十字架の道を歩みましたがしかしこの苦しい道を歩んでいるという事を隠して誰も知りませんでした。
 ちょうど私がイエズス様に捧げたいと望むところの隠れたる花は、このように人に知られずしえt唯天国のほうのみ、香りを放つところの花であります。
 ピシヨン(1919年11月15日77歳にて死去イエズス会の神父)と申す司祭は、私が修院に入ってから二か月の後私の霊魂の中に天主様の御働きを見て驚き、私の熱心は全く子供らしくまた私の歩んでいる道は至って平坦であると思っておられました。私は何事もこの司祭に打ち明けたならば大いなる慰めを得られたに相違ないが、心を打ち明けるのは非常に辛かったが、彼に総告白をいたしました、司祭はこれを聞かれて後、「私は貴女が一つの題材をも犯さなかったという事を天主様聖母マリア諸天使諸聖人の前で証明致します、そしてあなたの方からは何の功績もないのに聖主が与えてくださった恩恵を篤く主に感謝を捧げなさい」と申されました。
 私の方から、何の功績もなく、ああごもっともであります。難なく私はこれを信じております。私はどれほど弱き者、どれほど欠点の多い者であるという事を、良く知っておりましたので感謝の念だけ我が心に満ちてあります。私は洗礼の時の白い服を罪悪を以って汚したという恐れがあったのであります、聖女テレジアの望みをしているような教導者、即ち徳に学識を添える所の教導者の口から出た、この如き証明の御言葉は、ちょうど天主が御自ら直接証明してくださったかのように感じました。なおこの親切な司祭は私に「我が子に願わくは御主がいつもあなたの目上と修練院長たらん事を」と言い添えなされました。
 聖主は実際そうでありました、その上にまた私の教導者でありました、しかしこう申せば私は霊魂上の目上の人々に対して心を打ち明けないという意味ではありません。却って私は霊魂上、目上の方々にはいつも私の傾向を隠さず、ちょうど彼らにとって披いた書物のように勤めました。
 私等を導いておられた修練長は本当に聖女でありまして、カルメル会修道女の手本と為すべき御方でありました。彼女は私に働くことを教えて下さいましたが、私は片時もこの御方の傍を離れません。彼女の私に対する親切でありまして、私も深く彼女を愛し敬い重んじておりました。しかしどういうものか私の心が開かれます教導ごとに私の霊魂のありさまが私の心の裏にあることを言い表す為、言葉に困り、その都度非常に辛くありました。
 老人の某修道女がある日私の心の中にある事を悟ったと見えて、休憩の時間に「我が小さき女児よ、あなたは目上の人は告白するようなことが余りあるまいと思われる」と申しましたので、私は「どうしてその様な事を思いなさるのですか」と反問しますと、「あなたの霊魂は至って淡泊である、しかし尚完徳に達すると、一層淡泊なるものとなる、どうしても天主様に近づくに従って益々淡泊となるか?……」と申されました。
 これは真にもっともな事であります。しかるにこの打ち明けにくいという事は果たして私の霊魂が淡泊なためであったにしても全く一つの試しであった今日はなお一層淡泊になったにも関わらずすべての思想をも至って容易に打ち明ける事が出来たのであります。