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小さき花-第5章~9

2022-09-12 04:48:23 | 小さき花

 またこの時代にイエズス様は私に、幼児等の美しく無邪気な霊魂たちに近づく恩恵を与えてくださいました。すなわちある貧しい家の母親が、哀れにも病気に罹りましたので、私は六歳を頭とするその子二人の幼き姉妹を大切に世話しました、私がこの二人の幼児に話すことはよしどんな事であっても真実に信用しますので、私は大いに楽しくありました。小さい時から、犠牲を捧げるためには、未来永遠の幸いを受けたいという望みだけで、充分である、という事を見れば、疑いもなく洗礼を受けた霊魂には、対神の徳が深く刻まれて居るに相違ありません、私はこの二人の幼児が互いに仲良くするのを見たい時には、彼女らにおもちゃとか菓子類を与えるという約束をする代わりに「幼きイエズスさまがおとなしい子供に、永遠終わりなき褒美を与えてくださる」という事を申しておりました、その時に姉の方は六歳でしたから片言ながらもいう事が出来ますので、嬉しそうな顔をして私を眺め、幼きイエズス様の事、また麗しい天国の事などについて、いろいろと愛らしい訊ねをしておりました、また時々熱心な口調で「私はなんでもみな小さき妹に譲りましょう、そして私は大きな嬢さん……私を指していつもこう呼んでおりました……から聴いたことは一生涯決して忘れません」と言って約束するのです。
 この無邪気な霊魂はちょうどさまざまの印象を彫ることが出来る蜜蝋の様なもので、彼女らの霊魂に善の印象を彫ることも出来れば不幸にもまた悪の印象をも彫り刻むことが出来るのであります。私はその時にイエズス様の「我を信ずるこの小さき者の一人を躓かせる人は、驢馬のひきうすの頭にかけれられ海の深みに沈められるこそ、彼に益あるなれ(マテオ18の6)」という聖言を悟りました、最初からよく導かれたならばいかに多くの者が高い完徳に達することが出来ます、無論私は天主様が霊魂たちを完徳に達せしめるには、別に人間の助力を借る必要がないという事を知っておりますが、天主様はあるか弱く貴重な草花を育てる為に、特に上手な植木屋に適当な技術を用いることを許され、同時にご自身はその草花を養い育てられると同じく、霊魂の樹に実らせ花を咲かす為にもその助手を求めなさるのであります、もし植木屋が下手な接ぎ木をしたならばどうでしょうか……もし各自の樹の性質を知らずして、仮に桃の樹に薔薇の花を咲かそうとしたならばどうでしょうか?……
 ここで私は思い出します、むかし私は鳥の中でも見事に歌う一羽のカナリヤを飼っておりましたが、それと同時に小さき紅雀も飼っておりました、この小さき紅雀は巣立ちするとすぐに貰ってきましたので特に世話がかかっておりました、この小さき紅雀が籠に囚われて親の歌を習う事が出来ませんから、朝から晩までカナリヤの美しい声だけを聴いておりましした、ある日もその啼き真似をしようと思ったが、しかし紅雀に取ってはなかなか難しい仕事で……、それを一生懸命学ぼうと努めているのは誠に可愛くあります、そしてその柔らかな声がカナリヤ教師のよく鳴り響く声と一致するのはよほど辛かったでありましょうが、不思議にもついに成功して同じ調子で歌うようになりました。
 母様、私に小さい時から歌を教えて下さったのはどなたですか、また私の心を奪いました歌詞はどんな歌でどんな声であったかはよくご存じで御座いましょう、ただいま私は弱い者ではありますが、しかし後日必ず、この世界に於いては幾たびとなく聴いた調子よき愛の歌を永遠に繰り返す事が出来ると思っております。
 私の話しは心委かせとなったのでまた脇道に入りました。それでこれから天主様に召された事のお話しに戻りましょう。