リジューに帰ってから後、一番先にカルメル会修道院を訪問しました。この時の訪問はどういう事であったか、母様あなたはまだ覚えておられるでありましょう、私は最早すべての工夫を尽くした後で有りましたから、万事あなたの思し召しにまかせました、その時あなたは私に、「司教様に、あなたが約束したことを思い出させるため、今一度手紙を出しなさい」と仰せられましたので私は直ぐにその通りにしました。そして手紙を郵便に出して後は、すぐにも修道院の方に飛んでゆく事が出来ると思って、毎日首を長くしてその返事を待ちかけておりましたが、一向に返事がなくそのうちに遂にご誕生の喜ばしい祝日が過ぎたのであります。御主はまだ眠って居られ、ご自分の手毬の事を気に懸けられずそのままに地に置かれています。
その時の試し!苦しみ!は実に辛い事でありました、しかしいつも心は醒めている所のいる所の御方(イエズズ様)は私に次のような事を諭してくださいました。芥子(からし)の種子のごとく小さく弱いような信仰でもありさえすれば、その霊魂に対しては時としてその小さく弱い信仰を固める目的を持って奇蹟を行って下さるが、特に愛してくださる所の信仰の厚い人のためには……例えば彼の聖母マリアの如き御方には、その人の信仰を試す前に奇蹟を行いになりませんでした。かのマルタとマリアは御主のもとに使いをやって「兄弟ラザロが病気であるから……」と知らせましても、わざと死ぬのを待って後に赴かれ、またカナの婚姻の式に聖母は御主に向かって「家の主人を助けよ」と仰せられましても『まだ時期が来ない』とお答えになりました。ああ、しかしこの試しの後にいかなる報いがあったのでしょうか?ラザロは蘇生り、水はぶどう酒になりました。親愛なる御者はその小さきテレジアに対して、こういうやり方をなされたのであります。即ち私を長く試して後、私の全ての望みを果たせてくださいました。1888年の正月のお年玉としてまたもご自分の十字架を私に与えてくださいました。尊敬すべき母様、あなたはこの時「12月28日罪なき幼児の祝日から司教様の返事がお手元に来ている又「此の手紙には直ぐに入会する事を許されている、しかしあなたには四旬節が済んでから後、入るほうが良いと思う」と仰せられました。まだこの上に三ケ月も待たねばならないかと思って涙を流しました。この試しは私にとって特に苦しく、一方世間のほうに繋いでいる所の縁が切れたことを見ると同時にまた一方から「聖き方舟」に(カルメル会)この可哀想な小さき鳩をすぐに入れるのを断っている、ああその時に私の心!……。
この三ケ月間は種々の苦しみに満たされましたが、なおこの苦しみに優る多大の恩寵を受けました。まず最初には最早この期間には以前の時のように厳しい生活をしないでもよろしいという心が起こりましたが、天主様はこの三ケ月は特に大切である、価値があるという事を諭してくださったので、以前よりも一層真面目と苦業の生活を送るように努めました。
この苦業という言葉はかの多くの聖人方がなさったような苦業ではなく、幼年の時からいろいろの難行苦行を行いました。大聖人達に似た者でなく私の苦業というのはただ我儘な意思を破り捨て、口答えの言葉を抑える事、ひそかに私の側にいる人々に細かき事まで世話を為し、よく気をつけることであります、私はこういう子細な犠牲を以ってイエズズ様の許嫁となる準備をしておりました。そして私は待ち遠しきこの三ケ月の間に、いかほど深く天主様の摂理に任せる心を起こしましたがいかほど多く謙遜と他の善徳に進んだかは、言い表す事が出来ないほどであります。
6章終わり、次回以降7章へ