第6章
バユーの旅行が終って後、3日目になおこれよりも長い旅行をせねばなりませんでした、即ちローマ……教皇陛下の御座所に決められているので永遠の市ともいうローマに、門出を致したのであります、この旅行の間、この世の儚きこと、むなしきことなどよく悟りました。しかるに立派な景色を視、宗教上や美術上の傑作を視、殊に使徒たちが踏まれた地を訪ね、殉教者の血に染まった所の聖き旧跡の地を踏みましたので、大いなる霊魂の広い知識を得ました、私はこのローマに行くことが出来たので喜ばしく思っております、その時多くの人々は、父が修院に入りたいという私の決心を翻さす目時でローマに連れて行くのであると思っておりました。なるほど人々がこういう考えを持っていたのは決して無理ではなかった、という事を今日悟ります、実際堅き決心を抱いていない者であったならば、この旅行中に必ずその決心が変わったでありましょう……
この参拝者は大抵上等社会の人ばかりでありまして、私も姉と共にこの社会に交じりましたが私の眼には彼らの様々な爵位や富や栄誉などが眩く感ぜず、却って空しい煙のように思いました、そしてその時「キリストの模範」の中にある『汝、人の高名と称うる虚影を追い求むなかれ(3巻24の2)』という句は、真の位は唯名の中にあるのではなくして、徳を行う霊魂の中に有るのである、という事が分かりました。
預言者イザヤも『主が助けを得た者に他の特別な名を与える』(65の15)と言っておられます。また聖ヨハネの黙示録の中にも『勝利を得たる人に、我……白き石に新しき名を記して与えん、その名は白き石を受ける者の外、これを知る者なし(2の17)』とすなわち私等は天国に行って後、その真の誉れ爵位を識るようになるのであります。なおその時『面々に神より相応した誉れを得ん……(コリント前4の5』と、それ故御主イエズス様を愛する心を以って、この地上に於いて一番貧しく一番弱く、他人に知られない事を選んで努める者は、一番先にまた一番高く尊く富み栄える者となるのであります。
また私は今までカルメル会の改革の主なる目的……即ち司祭達のために祈るという事を充分に悟ることが出来ませんでした、罪人の為に祈祷を捧げる事は最も喜び好んで勤めておりましたが、しかしこの徳に優れた司祭たちのために祈らねばならぬという理由を十分にさとりませんでした。しかるにこの旅行中に於いて、私の転職を悟りました、実に有難い事であります、この社会の中に住居して人々を善の方へ導くために特に活動しておられる司祭達のために祈るという事が必要であります、この一か月の旅行の間に、徳の優れた尊敬すべき司祭たちに幾回も出合いました、その時私は「この司祭達は天使の上に位せられるという程に、高き地位に居られると同時に、やはり弱い儚き人間である、もし御主が司祭達を指して『この世の塩である(マテオ5の13)』この世界の腐敗を止めねばならぬ塩であると言われる徳の優れた司祭達さえ祈りを要するならば、まして冷淡なるものに於いては尚更であります。イエズス様もまた『塩がもしその味を失えば何を以ってこれに塩せん(同上)』と仰せられたのではありませんか。
ああ、母さま、私等「カルメル会」の修道女の天職は、この地上の塩を保つことに有ります、私等は司祭達の為に祈祷と犠牲を捧げるのであります。かの司祭達が言葉と行為を以って真の宗教を広め私等の兄弟たちの霊魂を救うため働いておられる間に、私等はその司祭達のために恩寵を願うのであります。ああ何という美しい高尚なる天職!立派な使命ではありませんか、私はこの立派な転職について限りない深い感想が起こりましたが、とてもこれを書き尽くす事が出来ません。
親愛なる母さま!これから私の旅行の様を詳しくお話し致しましょう。