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小さき花-第5章~5

2022-09-05 03:18:19 | 小さき花

 聖主は私の望みを良く知っておられましたぁら、神父に対して私に一週間に数回聖体を受けるのを許しなさるように、計らってくださいました。そしてこの許しが直接聖主からくられると感じますので、私も一層感謝の念が増しました。この時私の心の感じを打ち明けるのを遠慮しておりました。私の霊魂の進み行く道は、至って真っすぐで明るく、イエズズ様の外他の案内者の必要を感じませんでした。私は神父が人々の霊魂の中にイエズズ様を写す忠実な鏡に譬えて比べておりました。しかるに聖主は直接私の霊魂を照らしてくださるように思っておりました。
 即ち園丁がある果物を時期が来ない先に早く熟させようとして、特別な世話をしますが、これはこの果物を熟させて後、樹に遺す為ではなく、その果物を食卓に供えて賓客に与えるためであります。ちょうどその通りの目的で聖主は自分のこの『ちいさき花』に種々の恩寵を重ねて与えておりました。これは聖主が私に対して御憐れみの偉大なることをよく明らかに見せたい聖慮であったのであります。聖主がまだご在世中聖霊によって喜びをたえず仰せられたには、『天地の主なる父よ、我汝を賞賛す。それはこれらの事を学者智者に隠して、小さき人々に顕わし給いたればなり(ルカ10の21)』…と、私は至って小さく弱き者でありましたから、聖主は私の方へ下って身を屈められ、柔らかにご自分の愛の神秘を教えて下さいました。
十字架の聖ヨハネの聖歌の中に
  私の心の中に輝いている光の外に、
    案内者も導き者もない。
  そしてこの光は、
    全く私をご存じである御者の、
  待っておられる所へ、
    白晝(ひる)の光よりも確かに導いて下さる。
 とあります。この私を待っておられるところというのはすなわち「カルメル会修院」であります。しかし私はこの修院に入るまで『私を望んでおられる御方の陰で休む(雅歌2の3)』ことが出来るようになるまでには、なお種々の苦しみ悩みに遭わねばなりませんでした。私はこの修院に入るのは全く天主様に選ばれたのである。聖主の招きに応じて行くのであるから、たとえ日の中水の中でも喜んで通って行こうと、激しい感想が起こりました。