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小さき花-第5章~10

2022-09-13 06:10:49 | 小さき花

 1887年の10月31日、私は司教様のもとを訪れるため、父と共にバユー市に向かって出発しました、途々私は自分の望みが効き入れられると信ずると同時に、司教様に謁見せねばならぬことについて、いろいろの感に打たれました、私は他人を訪問する時には、いつも姉達と一緒でありましたが、しかも始めて一人で会わねばなりません、その上この初めての面悦する人が司教でありました、また今までは唯質問に答えるばかりでよかったのですが、今度は私は確かに天主様に召されたものであるという事を証拠する為に、今日カルメル会修院に入りたい理由を、十分に説明せねばならんのであります。
 こういう風に自分の怖じ気に克つためにいろいろと戦う必要がありました、「キリストの模範」に「愛する者は万事為し得うべしと確信するが故に、出来ざることを以って言い訳とせず、故に愛するは万事をよくし万事を遂げる(三巻5の4)」と、すなわち愛にとっては決して出来ぬというものがない、いかなる事でも出来、またいかなる事でも許されると思いますから……、実際に私はその時までは勿論、後々のいろいろの艱難にまでも打ち克たせて下さったのは、全くイエズス様の愛だけでありまして、後に得る幸福を大なる苦しみ試しを以って購わねばなりませんでした。無論今日ではこの幸福を非常に容易く購求めたと察しますが、もし今日でもこのカルメル会に入る幸福を得なかったならば、これがため今まで堪えた難儀苦痛の千万倍をも耐え忍ぶ覚悟でおります。
 司教様のもとに着いた時に、瀧の如く大雨が降りそうであった、副司教レベロニという御方は、私等の来るという事を前もって知っておられましたが、私等の来たのを見て少し不思議に思いながらも、いろいろ親切に取り扱ってくださいました、そして私の眼に宿っている涙を見て「ああ、私は今ダイヤモンドを見ますが、それを司教様に見せてはなりませんぞ」と申されました、やがて幾つともなく大きな部屋を通りました、この部屋を通る時には、私は小さき蟻の様に感じ、なお司教様に会った時どういう風に言うかと、いろいろ心配しました、その時司教様は二人の神父と共に、話しながら廊下を散歩して居られましたが、副司教は司教様に何か告げられると、すぐに副司教と共に、私等の待っている客室に来られました、この部屋にはキラキラと光る暖炉があって、その前に三つの大きな安楽椅子が備えられてあります。
 司教様が見えると、父は掩祝を受けるため、私の側にきて私と一緒に跪きました、掩祝が終ると司教様は私等に椅子に座るようにと仰せられた、副司教は私に中央の安楽椅子に腰かけよと申されましたので、私は謝して辞退いたしました、すると副司教は「あなたはよく従う事が出来るか見せてください」と申されました、そこで私は直ぐに承知して大きな安楽椅子に腰を下ろしますと、私にとって気恥ずかしい事には副司教が普通の椅子に座られているのを見ました、却って私の掛けた椅子は私等のような小さい者が四人くらい楽に、自由に……寧ろ私よりも楽に居られたに相違ありません。なぜならば私はなかなか楽で自由などころではありませんでしたから……如何にもきまり悪く勝手悪くありました、父は私に代わって最初の話しをしてくださると思っておりましたところが、かえって私に「ここに来た目的を陳述しなさい」と申しました、そこで私は許可を与えて頂くために、出来得る限りの能弁を振るいましたが、心の中では私が千万言を並べるよりも、総院長の僅かの一言の方が力があろうと思いながら……しかし唯今ではこの総院長の謝絶が許可を願うために幾分都合が悪くなったと思いました。
 司教様は口を開かれて「だいぶ以前からカルメル会に入りたかったか」と私に訊ねられましたので「ハイ、司教様、左様でございます、余程長く以前から……」と答えました。
 すると副司教は微笑みながら「ハハ余程永く以前と言うてもまだ15年にはなりますまい」と申されました。
 私は「ごもっともです、しかし数年を減らすには及びません、私は三歳の時から、天主様に身を捧げたい望みを持っておりましたから……」と申しました。
 司教様は私の父の気に入るようにと思われて「まだしばらくお父さんの側に居らねばならぬ」という事を諭すように仰せられました、しかし司教が父の私に加担するのを見ていかにも不思議そうにまた感心そうな様子をせられました。父はなお私の為に「私は近日中にこの子を連れてローマに参拝する積りであります、そこでもしその時までに御許可が無ければテレジアは直接教皇陛下にお願いするに相違ありません」と言い添えました。