国会図書館の本を読みやすく

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小さき花-第3章~14

2021-09-18 12:36:14 | 小さき花
 この九日間中、窓の下で書物を見ているレオニアと一緒に私を残して、マリア一人庭園に出ました。私はしばらくするとマリアマリアと小さい声で呼びましたが、傍にいるレオニアはこういう声を聞きなれておりますので、別段気に留めません。それで私は大きな声で再びマリアを呼びますと、今度はマリアが帰ってきました。その時私は確かにマリアが部屋に入るのを見たのですが、どういう訳か急に妙な風になって、その人がマリアであるかどうか、はっきり分からないようになりました。そこで私は側を見たり庭や窓の方を見まわしているうちに、強いられたように、思わずまたマリアマリアと叫びました。これは実に何とも言えない苦しみでありましたが、恐らく側にいたマリアは私よりも一層苦しんでいたでしょう。それで彼女は私はマリアですと言いながら、是非その事を私に悟らせようと、いろいろと手を尽くしましたが、少しの甲斐もありませんので、彼女は低い声で何か一言レオニアに言ったあと、青ざめた顔をして震えながら部屋を出ました。するとレオニアは私を抱いて窓の方に連れて行きましたが、その時もマリアは庭の方から、笑顔をしながら優しい声で「小さきテレジア、テレジア」と言いつつ、段々と私の側に近づき、自分はマリアであるという事を私に知らせようと様々に努めましたが、相変わらずだめでした。やがてマリアは熱き涙を流しながら部屋に入り、私の寝台の傍に跪いて御像に向かい、母がその子の生命を願うような熱心を以って「この哀れな子供の生命を助けてくださるように……」と祈り始めました。そして、レオニアもセリナもマリアに倣い、跪いて同じく祈祷を捧げました。そこで私も今はこの世に於いて何の助けをも見当たらず、悲しみのあまり死にかかっている折でしたから、眼を聖母の御像に注ぎ「何卒私を憐れんでください」と心の底から祈りました。すると不思議にもこの信仰の叫びによって天の門が開かれました。すなわちこの時聖母の御像はにわかに生きたようになって、だんだんと美しく光り輝きつつ私の方に進まれました。ああ、その麗しきその気高さ!とてもこれを言い表す言葉がありません。御顔には柔和、親切、愛情が溢れてばかりに表われ、その微笑……心を奪われるような、何とも言えない微笑は、私の心の内までも深く強く射透しました。そして同時に私の苦痛はなくなり、眼から二つの熱い熱い涙が静かに流れました。そして同時に少しの汚れのない、天の歓びの涙でありました。

読んでくださってありがとうございます。yui
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小さき花-第3章~13

2021-09-17 11:50:04 | 小さき花
 わたしはこうして病床に就いておりましたが、少し良い時には雛菊や瑠璃草を以って美しきサツキの中央に聖母のために花冠を造るのを楽しみとしていました。時は皐月の中半で自然界は春の花で飾られているのに、ただ一つこの「小さき花」が病気のために、色が褪せて衰えるほど萎んできました。しかし私の寝台の傍の一つの星…即ち天の元后の不思議な御像がありましたから、この小さき花が度々その花冠を愛すべき星のほうに向いておりました。
 ある日、父は私の部屋に入って来られましたが非常に心配した様子で姉マリアのほうに進み「今すぐにパリのノートル・ダム・デ・ビクツアール(勝利の姫君)の天主堂に書簡を出し、この小さき女王の全快を願うために、9日間のミサ聖祭を捧げて貰うよう、願いなさい」と申しました。ああ、私はこれを聞いて父の篤き信仰と愛情をいかに深く感動しましたでしょう。すぐに起って父に向かって「治りました!」言いたかったのですが、実際、私が全快するには是非大なる奇蹟がなければならないのでありました。ところが慈しみ深き聖母はこの大いなる奇跡を行ってくださいました。

読んでくださってありがとうございます。yui
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小さき花-第3章~12

2021-09-16 12:00:00 | 小さき花
 しかし、天主様は、このような悪魔に対して私に近づく事を許されると同時に、見える天使等を遣わして私を慰め強めてくださいました。すなわちマリアは私の側をしばらくも離れず、退屈するような風も現さず、心を籠めて厚く世話をしてくれました。それゆえ私も彼女を慕い、食事の時に乳母が代わって来てもマリアマリアと呼び、ただミサに与る為とか、ポリナを訪問に行く時よりほかは決して外出する事を黙っておりませんでした。またレオニアも小さきセリナも私に対してどんなに親切に尽くしてくれたでしょう。日曜日には愚かなものに似ている哀れな貧しい子供を連れてきて、私を慰める為数時間部屋に閉じこもっていました。なおまた叔母も私に対して深い愛情を以って毎日いろいろの見舞い品を持って私を訪ねてくれます。この病気中は叔父と叔母に対して私の慈愛がどれほど増しましたか言い表すことは出来ません。誰も嫌な顔一つせず親切に看護してくださった。かねて父は「我が子供等よ、この叔父様や叔母様がお前たちに対して常ならぬ厚い親切を持っていることを忘れてはならぬ」と仰せられた事を、この時益々深く感じました。父もまだ年老いてから自ら私等と同じく多くの親切を受けましたので、そのお礼として今日天国からどれほど彼らを保護して祝しておられるでしょう。
 (訳者云う、この叔母は最後の病気の時、亡くなったテレジアの取次によって大いなる恩恵を受けました。すなわちある朝彼女は大いによくなったのを喜んで「私は非常に苦しんでおったのですが、夜中テレジアは私の側に近づいて、厚く深切に私を介抱して力を添えてくれた」と申しました。また臨終のときに微笑みながら「ああ、私は死ぬことがいかにも嬉しい、天主様に面会に行くのはいかにも喜ばしい、イエズス!主を愛し奉る、私も小さきテレジアの如く司祭方に豊かなる恩寵を得させるために生命を捧げます」と申しました、この叔母は聖女の様な生活をして1900年2月13日52歳を以って永き眠りに就かれました。)

読んでくださってありがとうございます。yui
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小さき花-第3章~11

2021-09-15 14:46:32 | 小さき花
 アグネス童貞となったあなたの着衣式が近づいてきました。叔母や姉達は私がその日式に与ることが出来ないから、そのような話しを聞かせると嘆くであろうと思い、私の前ではわざとこの話しを避けるようにしました。しかし私は心の中に「天主様は必ずこの日ポリナに逢わせてくださる」という事を深く信じておりました。なぜならば憐れみ深き聖主キリストは、ポリナが最早私の病気の事を知って大いに心配しておったから、この愉快な日に私の顔を見ることが出来なければさぞ辛い事であろうと思し召され、必ず私がその式に与ることが出来るよう、取り計らってくださるに相違ない」と思ったからであります。ところが果たしてその当日、私は幸いにも美しく純白な被いを受け、、純白な修道服を着ている清きポリナを眺める事が出来、その笑顔を観ることが出来、なおその膝の上に抱かれて愛撫を受けることが出来ました。実にこの日は長く鬱陶しく陰気であった空が太陽の光線を浴びたように私の病気中最も愉快な一日でありました。しかしこの一日、いや一時間が早く過ぎ去ったので、私は馬車に乗せられて家に帰りますと、さほど疲れておりませんのに、すぐに寝かされました。そして翌日からはまた頭が痛くなり、発熱がひどく、急に悪い容態となり、医師はとても治らないと申しました。
 
 私はこの奇妙な病気のありさまをどういう風に描いたら良いか惑います。この病気の間少しも思わぬ事や考えたことのない事を言ったり、望まぬ事や嫌いなことでも、妙に強いられるようになり、いつも人事不省に見えておったが、しかし片時も本心を失いません。また度々数時間身体が痺れ、その時少しも身動き出来ませんが、側で談話する声はいかに細くてもありありと聞こえました。その上悪魔はいろいろの方法を以って私が怖れるようにと努めましたから、私の横たわっている寝台も深い淵に取り囲まれているように見え、鍵の釘も黒く見苦しい指のようにみえるので、いつも私は驚き叫んでおりました。ある日も父が傍で静かに私を見ておりましたが、父の手にあった帽子が、何か妙に恐ろしい形に変わってしまいましたので、私はひどく恐怖を抱きました。ところが父は私の驚く様子を見て、涙を流しながら黙って部屋を出ました。
 
 
読んでくださってありがとうございます。yui
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小さき花-第3章~10

2021-09-14 14:46:32 | 小さき花
 この年の末、絶えず頭が痛みましたが、さほどの事もありませんでしたから、辛抱して翌年の御復活の祝日まで学校に通いました。そのころ父は姉達と共にパリ市に赴かれたので、セリナと私の二人が叔父の家に預けられておりました。ある夜、叔父と私の二人が家に残っておりました時、叔父がふと私の母についての事柄を、いろいろと非常に愛情深き言葉を以って話し聞かせてくれましたので私は痛く感動して涙を流しました。すると叔父は私が年齢が若いにもかかわらず、感情の激しい者であるとさとって心配せられ「夏休みの間いはいろいろ気晴らしをさせてやろう」と申されました。しかし天主様は私に対して、他の聖慮があったのであります。この夜、私は頭の痛みが激しくなり、夜通し身体が妙にふるえました。叔母は本当の母親のように片時も離れず、この病気中、非常に親切に介抱してくれました。
 
 父がパリ市から帰って来て、私の容態を見て、これはとても治る見込みがないと悟ったときにどれほど深く悲しみましたか、ほぼ察することが出来ます。しかし、もし聖主がこの場におられたならば「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(ヨハネによる福音書11章4節)と父に答えられたでありましょう。私のこの病気は全く天主様の御栄光の為でありまして、父も姉達、殊にマリアまでが、少しも呟かず天主様の聖慮に任せもって天主様の光栄を現したのであります。親愛なる長姉マリアの恩は決して忘れません。彼女は私の病気について心配し、悲しみ、大いに慰めいたわってくれました。そして彼女は私を慰めるには何が一番適当であるかという事を良くわきまえて、深い愛情を向けてくれました。実際、病気の時には上手な石の学問よりも母の心の様な細やかな愛情の方が遥かに優っております。
 
 
読んでくださってありがとうございます。yui
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