1882年10月2日が来ました。私は涙を流した日、また恩寵を受けた日でもあります。この日聖主は一番初めの花(ポリナ)を摘み取られ、この選り抜きの花はわずかの年月の後、その妹たちの母様になる筈であったので、父はこの最初の犠牲を捧げる為叔父と従姉のマリアを連れて「カルメル山」に登られ、私は叔母や他の従姉妹等と共に、ミサ聖祭に与るため聖堂に行きました。その入口で私等の眼が皆湿っているのを不審そうに観ましたが、私はなお悲痛に堪らず涙を流しながら「どうして太陽が、まだこの世界に輝くことが出来るのかと想いました
尊敬する母様、私はこの悲しみをあまり誇大にすると思いなさるかもしれません。無論、この離別は私を異様にまで悲しませるはず出なかったという事は今よく悟っておりますが、その時にはまだ私の霊魂がよく熟達しておりませず、私は平和の岸に着く迄……すなわち完全なる愛と、全く主の摂理に任せるという甘い実を味わうとき迄、まだなかなかに多くの苦しみと悩みの淵を通るはずでありました
読んでくださってありがとうございます。yui
尊敬する母様、私はこの悲しみをあまり誇大にすると思いなさるかもしれません。無論、この離別は私を異様にまで悲しませるはず出なかったという事は今よく悟っておりますが、その時にはまだ私の霊魂がよく熟達しておりませず、私は平和の岸に着く迄……すなわち完全なる愛と、全く主の摂理に任せるという甘い実を味わうとき迄、まだなかなかに多くの苦しみと悩みの淵を通るはずでありました
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