皆様こんばんは。
本日は悲観と楽観という2つの言葉についてお話ししたいと思います。
局後の感想などでよく目にする言葉ですね。
意味としては、世間一般で使われる時とほとんど同じです。
ただ、ニュアンスに若干の違いがあります。
「形勢を悲観して、無理手を打ってしまった」
「形勢を楽観していて、甘い手を打ってしまった」
このような使われ方をしますが、これらは単に良いと思った、悪いと思ったということではありません。
必ずと言って良いほど、「本来より」というニュアンスが入ってきます。
つまり、これらの例で言えば、
「後から考えれば無理をするほど悪い形勢ではないのに、判断を間違えてしまった」
「後から考えれば楽に勝てるほどの形勢ではないのに、判断を間違えてしまった」
ということなのです。
微妙なニュアンスの違いですが、これはプロの対局を理解する際には結構重要です。
対局者や解説者が悲観、楽観という言葉を使う際、大なり小なり判断ミスがあったことを示しています。
ちなみに、判断ミスがあるかどうかは別として、形勢判断によって着手を変えることは必ずしもおすすめしません。
一番大事なことは、自然な手を打つことです。
ですから、形勢判断よりも状況判断を大切にしたいですね。
それが上達への近道にもなるでしょう。
もっとも、実際にはプロもそこを間違えてしまいがちなのですが・・・。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
プロは勝負に勝ちたいという思いがとても強い人種ですから、なかなか難しいところです。
本日は悲観と楽観という2つの言葉についてお話ししたいと思います。
局後の感想などでよく目にする言葉ですね。
意味としては、世間一般で使われる時とほとんど同じです。
ただ、ニュアンスに若干の違いがあります。
「形勢を悲観して、無理手を打ってしまった」
「形勢を楽観していて、甘い手を打ってしまった」
このような使われ方をしますが、これらは単に良いと思った、悪いと思ったということではありません。
必ずと言って良いほど、「本来より」というニュアンスが入ってきます。
つまり、これらの例で言えば、
「後から考えれば無理をするほど悪い形勢ではないのに、判断を間違えてしまった」
「後から考えれば楽に勝てるほどの形勢ではないのに、判断を間違えてしまった」
ということなのです。
微妙なニュアンスの違いですが、これはプロの対局を理解する際には結構重要です。
対局者や解説者が悲観、楽観という言葉を使う際、大なり小なり判断ミスがあったことを示しています。
ちなみに、判断ミスがあるかどうかは別として、形勢判断によって着手を変えることは必ずしもおすすめしません。
一番大事なことは、自然な手を打つことです。
ですから、形勢判断よりも状況判断を大切にしたいですね。
それが上達への近道にもなるでしょう。
もっとも、実際にはプロもそこを間違えてしまいがちなのですが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
プロは勝負に勝ちたいという思いがとても強い人種ですから、なかなか難しいところです。