恋愛において、”好き”と”嫌い”は共存する。根本的に好きなのに、このまま付き合っていきたくはない、という決断ができる。好きなのか、嫌いなのか、と自問してしまうのは当然だが、結論を出そうとしない方がいい。どちらも真実なのだから。「好きだけど、嫌い。」ではなく、「嫌いを含めて好き。」なはず。その「含めた嫌い」の部分、部分が我慢できないレベルに達したと考えるべきだろう。好きならすべてがOKになるワケではない。好きだから知る「嫌い」もあったはずだから。そう考えると、好きな相手のすべてが愛おしい。だからこそ、膨れ上がった「嫌い」が耐え難い。
同僚の女性社員がラガーマンと付き合っていた。そして、2人は合わないと判断し別れた。彼のことは好きだった。好きじゃなければ付き合わない。そして、ずっと一緒にいたからこその彼の「嫌な部分」を知り、我慢できなくなったのだ。彼女は言う。今でも好きだと。あの時別れを切り出さなかったら、まだ一緒にいられたかな、とも。
「好きなまま別れたの。バカかもね、私。」
好きな男と付き合って、ゴールではない。それがスタートだとしたら、その先、どんな困難が待っているのだろう。結婚・出産というカタチが残せないゲイの恋愛は、儚く脆い気がするのは、自分が恋愛に自信がないからだろうか。