いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
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この世の果てに

2020-04-03 00:47:33 | 日記
ゲイである自分がノンケを好きになる事は許されない事だと思っている。許される許されないという事ではなかったとしても、そもそも成就しない恋だ。そう知らされたのは23の時だったが、早くて良かったと思っている。その前にも後にもカッコいいノンケはいくらでもいたが、自分が恋したのは23才の時だった。思えば学生時代の頃から自分が幸せになるという実感がなかった。誰かに愛される、誰かから優しくされる、誰かを愛する、そういったものが欠落した人間だった。今もそうだ。だから、人生を諦めているというのとは決して違うのだが、自分には幸せは訪れないと悟っていた。だから23の時の恋心は淡く消え去ってしまったが、どこか分かっていた結末でもあった。

どうすればモテるのかを自分はよく分かっている。実践できるかどうかはともかく、どうすればゲイに対して、女性に対して愛されるのかを熟知している。しかし、付き合うというのがとても苦手なのだ。よく分からないといった方が正しいのかもしれない。そこで思ったのが、ゲイではなくノンケの男性や女性といる方が楽だという事だ。ゲイだと告白する気はないので多少の脚色は必要だが、一緒にいて居心地がいい。ゲイといればゲイの話ができるので魂の繋がりというか本当に心を開いて話せるのだが、その先はない。ではノンケはというと、最初から先はないのだから、余計な労力や無駄な色恋抜きで関係性を築ける。自分には幸せは訪れないと思って生きてきたからこそ、そちらを選ぶ。中学時代に好きだった野球部の男の子とは友達になれた訳でもなく一緒に野球をした訳でもなく、ただ他人として遠くから見つめるだけの存在だった。23で好きになった相手も野球部出身の男性だった。一緒の職場で一緒の電車で帰っていたが、好き過ぎて全てが空回りした。告白していなかったことだけが救いだったが、今あの時に戻れたら完璧な振舞いができただろう。では完璧な振舞いとは何かと言えば、好きになることなく仲良くなることだ。

相手を好きにならずに生きていく。自分が長い年月を経て手に入れたものが、それだった。
美しく生きていく、輝いて生きていく、そして誰も好きにならずに生きていくのだ。恋をしない、ということでもある。哀しくはない。コーヒーを飲むか飲まないかの違いくらいだと思うようにしたのだから。

不思議だ。そう思って生きていたのに、好きだと言ってくれる人がいた。最近仕事で知り合った男性だ。
心に光が差したような気がした。

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