因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

フライングステージ『ジェラシー~夢の虜~』

2009-02-08 | 舞台
*関根信一作・演出 公式サイトはこちら 下北沢駅前劇場 1日で終了
 1932年の上海で、あるアパートの一室が舞台である。サイレント映画の女形俳優がトーキーの出現によって仕事を失い、女のからだになるための手術をし、女優として再起を目論む。その彼女、川野万里江を演じるのは関根信一。一方、清朝の王女でありながら日本人の養女となり、男装の麗人として日本と中国を行き来した川島芳子という女性がいる。こちらはKAKUTAの高山奈央子が演じる。前者は架空の人物であり、後者は実在とはいえ、いまだに謎が多い。劇の作り手としてはイマジネーション、創作意欲を掻き立てる存在であろう。その二人が、あのときの上海で出会っていたとしたら…。『ジェラシー~夢の虜~』は大胆な発想のもと、時代の波に翻弄されてもがきながら生きた人々の、束の間の交わりを描いたものである。
 大河ドラマをみていて、歴史上の出来事や人物に対して独自の解釈をもった描写がなされていると、母親がよく口にするのは「これは事実なのか。この人物はほんとうにこんな性格の人だったのか」自分は大昔の有吉佐和子の発言を例にしたりするのだが、母は納得しない。「史実とあまりに違うことを描くのは、その人や親族や子孫に対して失礼だ」と譲らないのである。だったらお母さんは篤姫に会ったことがあるの?あるわけないでしょ。そんなに言うならNHKに投書しなさいよ…と水掛け論の喧嘩になってしまうのだ。

「たられば」が成立するのがドラマや映画、演劇である。もしかしたらありえた話かもしれない。あの時代にあの場所だからこそ起こった事件や、まさに天から遣わされたかのようにあの時代に生まれ合わせた人々の生涯のほんの一部に、劇作家が並々ならぬ思い入れをもって生み出した架空の人物が血肉をもって同じ板の上にたつ。どこまでが真実で、どこからが虚構かがわからなくなり、しかし客席もまたその世界に酔いしれることができたら何と素敵なことであろうか。

 正直なところ、今回の舞台がそこまで観客をいざなうものであったかは疑問が残る。その理由と自分が思うことを、この場で具体的に列記することは控えるが、仮に母といっしょに観劇したとしたら、ほぼ間違いなく大河ドラマの場合と同じような諍いをすることになりそうだ。観客を納得させるもの、困惑させるもの、信じ込ませるもの、多くの「何か」が複合的、有機的に交わったときに生まれる奇跡のような空気を体験したい(母に体験させたい)と思うのである。
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