*W・シェイクスピア作 松岡和子翻訳 蜷川幸雄演出 公式サイトはこちら 彩の国さいたま芸術劇場大ホール 21日まで ワールド・シェイクスピア・フェスティバル正式招聘作品
策略と運命のいたずらに翻弄されながら、家族が再会し敵と和解するまでの物語。歌舞伎や能、浮世絵などのジャパネスク風の味つけをふんだんに盛り込みながら、演出家と俳優、スタッフが強い信頼のもとに作り上げた3時間あまりの舞台である。
2003年春にみた『ペリクリーズ』の苦い味わいを思い起こす。戦乱のさなかにあるどこかの国を訪れた旅の一座が一夜の芝居を演じるという趣向であった。オープニングはいつ本編がはじまるのかと不安になるくらい、砲弾の爆音が響き、傷つき疲れ果てた人々がさまよい歩くシーンが続き、しかしやがて人々が舞台に整列して重々しく一例したときに起こった客席からの拍手を、自分はいまでも忘れない。劇の構造を理解した「了解」のしるしであり、これからはじまる物語を受けとめるという意思表示である。波乱万丈の物語が大団円で終わったあと、ふたたび街は戦乱の場面となり、旅の一座はいずこともなく去ってゆく。
カーテンコールは行われなかった。賑々しいカーテンコールがあれば、観客の気持ちは晴々と救われたであろう。しかし敢えてそうしないところに演出家の挑戦、娯楽に回収させない覚悟があり、客席もまたそれを受けとめようとしたのである。
開演を控えた役者たちの楽屋から始まるのはいかにも蜷川らしい作りであるが、「ラストシーンでつながりが示されるのではないか」と抱いた期待に応えるものではなく、必要ないと見た。
また王女役の大竹しのぶは可憐で瑞々しく、演じる役と俳優の実年齢は関係ないことをある面で証明しているのだが、ここはやはり冒険をして、無名の新人女優を大抜擢してほしかったなと思うのである。
しかしながら「蜷川さんにやられちゃったな」と半分苦笑いしながら、幸せに満たされて劇場をあとにした。
ロマンス劇の需要、上演の必然性は、いまのこの国にたしかにある。甘い期待や一時の夢物語ではない。現実を思い知り、弱り果てて絶望に打ちひしがれながらも、なお良きことを願い、平和と幸せを祈る人間の気持ちを柔らかく包み込むような優しさにあふれた舞台を、人々は求めているのである。
蜷川さんもすごいが、やはりシェイクスピアがすごいのですね。
そのことに改めて気づかされた。
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