因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

同居人『太陽の陽』

2009-09-05 | 舞台

*山本了作・演出 公式サイトはこちら 下北沢駅前劇場 6日まで  古い一戸建ての居間と縁側、小さな庭が見える。黒光りする大きな座卓に食事が終わったあとらしい食器類と、明らかに仏花とわかる花束が置かれている。公演チラシには「ひとりの中学生が自殺した。」の書き出しで、この物語が只ならぬ内容であることをしっかり知らせている。この家は、自殺した中学生の家族なのか、それとも?

 目の前の家は、中学教師である岡本靖史(有馬自由/扉座)の家で、娘(石塚みづき)は父親と同じ中学に通う。彼は自殺した町田誠の副担任だという。微妙な距離がある。仏花は誠の墓に供えるためであり、しかも墓参りにはいつも家族総出(妻は山像かおり/文学座)で行くらしい。ちょと変だなと思う。担任は、校長や教頭はどうしているのだろう。  

 冒頭、友達と先約があるので墓参りに行けないという娘と、てきぱきと家事をしながら反抗期の娘に手を焼いている母親のやりとりが続く。居間のとなりには認知症を患う靖史の母がおり、今日はデイサービスで施設に行ったらしい。施設の介護員ワンさん(西田夏奈子)との賑やかでちょっとずれた会話もあって、中間管理職の夫、反抗期の娘、老親の介護など問題をいくつも抱えている。   

 子どものいじめや自殺をめぐる作品で、最も記憶に新しいのは劇団昴上演の『親の顔が見たい』(畑澤聖悟作 黒岩亮演出)である。学校側も校長と担任では立場が異なり、いじめた生徒の親たちの思惑もそれぞれである。我が子可愛さにエゴをむき出しにする親たちの様相に肉薄した舞台は異様な緊張感に満ちていた。  

 本作の特徴は、自殺した生徒と岡本家の距離感にあると思う。靖史は自殺を止められなかった教師としての自分を責め、学校側の意向とは反対に、自殺の原因、いじめの実態を独自に調べているらしく、家族での墓参りもその気持ちの表れのようである。しかしその言動に神経を逆なでされる生徒の両親(特に母親 朝倉伸二、松岡洋子)や、「周りに攻め立てられる自分こそ被害者だ」と嘆く若い担任教師(迫田孝也)とのやりとりに、視点をどこに定めたらよいのか迷いつつの観劇となった。  

 つい先日も女子中学生が二人していじめを苦に自殺した事件が報道されたばかりだ。本作執筆について、作者は並々ならぬ苦脳と葛藤があったようである。人物の中では靖史を演じた有馬自由に目をひかれた。自分より若い担任教師を気遣い、生徒の気持ちを思い、その両親の訴えにも辛抱強く耐える。しかし老母の介護は妻に任せきりで逃げ腰であり、娘が同級生をいじめていると知るや、いじめのリーダーである生徒とつきあうなと命じる。その矛盾を娘に突かれ、立ちすくむ。  

 舞台装置はきちんと作りこまれており、俳優の演技もそれぞれのポジションで過不足ない。ただきちんとしているだけに曰く言い難い物足りなさも感じる。特に靖史の妻がどういう人であるのか、今は専業主婦らしいがそれまでどんな仕事をしていたのか。夫やその母や娘のことをどう思っているのか。  

 結論の出せる話ではないと思う。だが作者の強い思いが途中で途切れてしまったかのようで、もう少し深くこの家族のことを知りたい気持ちになるのである。

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