*横山拓也作 有馬自由演出 公式サイトはこちら 下北沢ギャラリー 28日で終了 (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)
ハイリンドの女優・枝元萌、はざまみゆき+宮越麻里杏の三人芝居。iakuの横山拓也の本作は一度観劇したことがある。今回は扉座の有馬自由の演出で、下北沢駅南口改札から徒歩10秒のビルの3階にある「下北沢ギャラリー」の上演だ。室内中央に演技スペースがあり、それを取り囲まんばかりの近さで座席が作られている。このように逃げ場のないところで演技をするのは、俳優にはどんな苦労があるのだろうか・・・といった心配は、はじまって早々どこかに吹き飛んだ。関西出身である枝元萌、はざまみゆきのハイリンド女優と、客演の宮越麻里杏。3人の丁々発止の応酬にぐいぐいと引き込まれた。
本作は、アデコというあだ名の同僚が事故による怪我で入院しており、彼女が非常に痛ましい状態にあることが大きなポイントである。それが何かが知らされるまで、彼女たちの会話に前のめりで聴き入らせる劇的効果があり、知らされたときの衝撃や、いったいこの話がどう終わるのかという興味が、新たな力で観客を引っ張っていく。自分は流れがわかっているため衝撃はないものの、それでも前回よりはるかに強くしっかりと3人の会話に聴き入ることができた。それは小さな会場であるからだけでなく、女優の演技の勢いが強いせいもあるだろう。
にもかかわらず、実はサンモールスタジオで見た長田(オサダ)を演じた永津真奈の演技が思い出されてならないのである。アデコの怪我と同僚の寿退社の穴埋めで激務になった苛立ちや、かつて自分自身が患ったことや恋愛で傷ついたことなどを、戯曲を読むとどれだけきつい調子で、しかめっ面で演じるのかと思いきや、そこを敢えて、なのかこの役の本意はこうであるという演出の意図なのか、無表情といってもよいほど淡々と演じるのである。
アデコの傷は、目に見える身体の一部欠損であり、オサダのそれは外見はそうと見えない傷である。しかし後者の傷は、聞いたとたん、日常生活の困難のあれこれよりも、「恋人との関係がどうなるか」を否応なく想起させ、実際そういった台詞が続いた。これはいたしかたないことなのだろうか。女性が負う傷という、一種の型になっているようにも感じるのだが。
大阪ことばで演じるハイリンド女優お二人の素顔を見られたようで嬉しい。番外公演の旨みをぞんぶんに味わうことができ、この劇団がますます好きになった。がもっとも大きな収穫は、やはり横山拓也の戯曲の魅力を改めて知ったことであろう。これだけ温度の異なる座組みであっても揺らぐことなく、座組みごとの個性を引き出すことができるのだから。本公演ももちろん楽しみであるが、こうした番外公演もちょくちょく企画してほしいというのは欲張り過ぎだろうか。
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