*うた 中馬美和 金子左千夫 ピアノ 大坪夕美 ムジカ音楽・教育文化研究所ミニホール 4日のみ
オペラシアターこんにゃく座の歌役者である金子左千夫は、2006年より2012年まで「ソングコンサート・イン・ムジカ」を10回行ってきた。前回は夏の盛りで、あれからあっというまに5カ月が過ぎた。林光が50年にわたって作曲したソングが全4冊の曲集として編まれており(一ツ橋書房)、その全曲を歌うコンサート第1回の今日は、「Ⅰ四季の歌」より、春と夏に関するソングを20曲あまりたっぷりと歌う。小さなホールは満員の盛況だ。
林光の音楽はこんにゃく座のオペラはもちろん、さまざまなドラマのテーマ曲などですっかりなじんでいることはたしかだ。しかし考えてみると自分で歌ったことはない。たとえば『森は生きている』は何度も舞台をみた大好きなオペラである。いっけん耳なじみよく覚えやすい曲ばかりなのだが、CDに合わせて歌おうとするとキーが高くてとても声が出なかったり、メロディーの動きが複雑だったり、素人にはそうかんたんに歌えないものが多いのである。また『森は~』くらい繰り返し観劇し、CDを聴けばそれでもどうにか覚えるけれども、そのほかの作品で、舞台をみて帰り道に覚えて口ずさめるものはほとんどない。ああ素敵な歌だな・・・と思うのに、やはり素人にはおぼえにくく、難易度が高いのだ。メロディも歌詞もちゃんと覚えて歌えれば、どんなに楽しいだろう。ムジカのソングコンサートは、そんな林光の音楽への憧れをますます強めてくれるのであった。
今日は受付で「楽器」を手渡されたり、アンコールは客席も一度練習したあといっしょに歌うなど、聴衆がともに楽しめる工夫が凝らされている。コンサートではあるが、歌役者のおふたり、ときにピアニストも巻き込んだコント風の演出もあって、出演者がんばっておられましたが、うーんこれは好みがわかれるのでは?
印象に残ったのは、『がっこう』←これは夏のコンサートのアンコール曲であった。早々に再会できてうれしい。『ちょうちょうさん』←まど・みちおの優しい詩に、軽やかな曲がついていよいよ素敵に。歌ってみたいがたぶん無理でしょう。作り手が意識されたのかどうかは不明だが、政治的、社会的なソングがわりあい多かったように思う。血のメーデー事件や安保闘争における樺美智子さんの死を題材としたものは、聴くこちらの知識や感覚がふじゅうぶんなせいもあり、コンサートの構成として多少違和感をもった。
しかし最後に歌われた『敗戦のこども』(詩も林光)がみごとに歌われることによって、すっきりとしめくくられたのである。
父が少年時代に教科書を墨で塗りつぶしたという話を聞いた少年が、「お父さんはかわいそうだったんだ」と心を痛める。しかし父は誇らしげに「そんなことはない。お父さんは楽しかった、嬉しかった」と生き生きと語る。嘘に墨を塗って堂々と前を向いて生きていける。一生懸命働いていまの世の中をつくった。これからはきみたちが働く番だ・・・という内容だったろうか。
歌のタイトルを「終戦のこども」ではなく、「敗戦のこども」とした林光の思いを考えてみた。日本は戦争に負けた。つらくみじめで悲しい。しかし負けたことによって得た希望があると、父は胸を張って子を励ますのである。
2011年3月11日を経て『敗戦のこども』を聴くとき、「震災のこども」、あるいは「原発のこども」へと思いが湧きおこる。あのとき、お父さんはお母さんは何を考えていたのか、何をしたのか。いまのこどもたちが大人になったとき、そのまたこどもたちに何を語ってやれるのだろうか。
さて自分はこんにゃく座のオペラつらなりでこのコンサートにやってきたが、ほかのお客さまはいわゆる演劇ファンとはちがった雰囲気だ。開演前は弱々しい咳をしておられた年配の男性が、アンコールの『つまさききらきら』では別人のように朗々としたテノールであったし、そのおとなりの女性は楽譜をみずに歌っておられた。前回もアンコールの『がっこう』が素晴らしい混声合唱になったり、いったい皆さまがたは何者?たんに音楽関係者というのではなく、何かもっと深いものをお持ちであるとお見受けするのですが。
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