*加藤一浩作・演出 公式サイトはこちら 下北沢ザ・スズナリ 27日まで
本作は2006年東京乾電池主催のワークショップ生の卒業公演用に書き下ろされ、今回劇団の本公演としてスズナリにお目見えの運びになったもの。どこかの町の深夜から明け方まで、駅の近くらしい公園にたむろしたり、出たり入ったりする登場人物は何と31人。
加藤一浩作品をみるのは、今回で4回めになる(1,2,3 『黙読』はいまだに書けず残念)が、公演チラシやHPを読んでもどういう話かよくわからず、舞台をみてもその感覚はあまり変わらないのだった。自分は冷徹で謎めいた『雷鳴』がもっとも好みである。
31人が出たり入ったりを繰り返す。忘れかけたころに「おお、そういえばこの人たちもいたなぁ」という人物がひょっこり再登場して、しかし重要なキーワードもテーマもなく、31人が次第に有機的なつながりを持ち始めるわけでもなく、「点描」と言うには個々の表現が執拗な箇所もあるし、そもそも自分はタイトル『TVロード』が何を指すのかもわからないのだった。観劇からまだ数日しか経っていないのに、配役表を読み直しても、既に誰が何の役か忘れている人物が何人もいる。
休憩なしで上演時間が2時間を超えると聞いて心配していたが、途中数か所で意識が遠のいたものの、最後まで時計をみずに乗り越えた・・・というより、自分はただその時間劇場の椅子に座って、舞台で起こることをみていただけなのだった。ほんとうにそれだけなのだった。
何かを求めて劇場に行くからには手ごたえがほしい、「これだ」という確かなものを感じ取りたいと思う。その前のめりで、がっつくような気合いがいつのまにか消えている。理解しよう、把握うしようという気持ちがなくなり、ともかくこの劇空間を身を置き、舞台の芝居をみつめているのだが、そうしている自分をまた別の自分が見ているような感覚といえばよいか。
こうなると来月シアターイワトで行われる『海辺のバカ』にも是非とも行かないわけにはいかないだろう。得られない手ごたえを求める。自分の加藤一浩作品に対する気持ちは、今のところこのような感じである。
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