*ウィリアム・シェイクスピア原作 福田恆存翻訳 三浦基演出 桜井圭介音楽監督 あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014より 公式サイトはこちら あうるすぽっと 31日まで
本作は2012年、ロンドンオリンピック文化プログラム「ワールド・シェイクスピア・フェスティバル」の一環として、ロンドンのグローブ座の依頼により制作された。この企画は、シェイクスピアの全37作品を37の言語で上演するプロジェクトに日本代表として参加したものだ。かの地での高評をひっさげて2014年の夏、あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014に凱旋公演のはこびとなった。今月初めの杉原邦夫によるKUNIO11『ハムレット』につづいて、気鋭の演出家によるシェイクスピアに期待が高まる。
三浦基の舞台をみたのは、記憶にあるかぎり、2005年年明けの『雌鶏の中のナイフ』(デイヴィッド・ハロワー作 谷岡健彦翻訳 アトリエ春風舎)だけである。好き嫌いといった原始的、感覚的な好み、理解できるかできないか、そこまで行けなくとも少なくとも作り手の意図や意欲に共感ができるかできないかが極端に分かれる作りで、自分はもうまちがいなく後者のほうであった。以来、三浦は多くの舞台を発表しているが、劇場に足を運ぶアクションに結びつけることはできなかった。ほぼ10年を経ての再会である。
舞台中央にアップライトのピアノが置かれ、その前に敷きものがあり、開演が近づくとそこにさまざまな楽器を持ちこまれてくる。音楽の生演奏の趣向であろう。下手と上手には花で飾られたお立ち台のようなものがあり、そこから上にロープが伸びて、天上の中心で結ばれている。物語の舞台であるローマの広場であろうか。
大きな特徴は、明確に役柄を与えられているのはコリオレイナスの石田大のみで、ほかの人物はすべて「コロス」の男女4人が演じることだ。あとひとりはただ「男」と名づけられた人物がときおり舞台を通りすぎたり、たたずんだりする。
コロスの俳優はめりはりのある演技をしているので、さほど混乱もなく、ローマの将軍コリオレイナスが一度は頂点に立ちながら、市民の反感を買って失脚し、母の懇願にほだされながらも、あえなく命を落とすまでを、何とか理解することはできる。
音楽監督の桜井圭介とNoricoが舞台で楽器を鳴らす様子は、生演奏というより町辻の楽士の風情があって楽しい。しかし事前に戯曲を読んでどんな人物が登場するのか、どういった物語なのかなどを多少は、いやある程度以上知っておかないと、観劇はつらいかもしれない。
後半でコリオレイナスの母ヴォラムニアが息子に大演説をする。コロスのひとり安部聡子は細身で小柄、声もかぼそい印象だが、けっして大声を出して大芝居をするのではなく、シェイクスピアの台詞を肉体に落とし込んで咀嚼して栄養分にしたのち、自分の肉声にして発語する。声の強弱、高低はもちろんのこと、ひとつのことばをすらぶつぎりにして観客に投げつけているかのような独特の発語法である。圧巻の場面であり、地点・三浦基の真骨頂であろう。
これをどうとらえるかはむずかしい。台詞を、ことばを重要視する演技法からすればむちゃくちゃなことをしていることになり、反対に台詞、ことばを解体し、俳優の肉体と肉声から感じとれることを「演劇」ととらえることで、戯曲じたいを解体し、再構成、再生産する手法ともいえる。この人物はこのような背景と性格で、造形はこのように、あの俳優さんの個性にぴったりだ・・・などという既成概念がことごとく消え去ってしまう。
前述のように本作は2012年にロンドンで産声をあげ、その後モスクワ、サンクトペテルブルク、京都を経てノウゴロド(ロシア)、イマトラ(フィンランド)など海外で高い評価を得ており、当日リーフレットに記載の各国の劇評を読むと、「こういうふうに鑑賞すればいいのか」と思わされるが、むしろ日本語のわからない海外の観客のほうが、地点の試みを素直に受けとめられるのではないか。
地点の『コリオレイナス』は、自分がぜひみたいと身を乗り出すよう舞台ではない。ここにわざわざ書かずとも、気心の知れた観劇仲間なら「因幡屋さんはだめでしょうねえ」と苦笑いするだろう。しかし、地点の『コリオレイナス』は、自分がみておくべき舞台であった。それは保守的で安全安心な作りだけでなく、アバンギャルドや前衛もいちおう抽斗に入れておけば、いざというときネタになるかもしれないよというもくろみではない。
この舞台が、『コリオレイナス』の戯曲に立ち戻るか、逆に戯曲から離れるかの分岐点を示しており、自分はどんな『コリオレイナス』をみたいのか、本作に限らず、自分が演劇に求めているのは何かを思索させるためである。
自分は『コリオレイナス』の戯曲に戻る。そしてこのつぎ、どこかの公演をみるときまで自分の脳内で俳優を動かし、声を聴く。主人公の母は、蜷川幸雄演出版の白石加代子よりも、安部聡子の肉体と声のほうがしっくりきそうだ。
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