*北村想作 大杉祐演出 公式サイトはこちら 下北沢本多劇場 11日まで(1,2,3,4)
88年には同じ2本が少し時期を置いて上演された。2本立て公演、つまり1回の公演で休憩をはさんで、しかもほとんど同じ俳優が演じるのは今回がはじめての試みだそう。上演を急遽決定したのは昨年春。東日本大震災と原発事故が色濃く反映されることに、加藤健一自身、新聞記事や公演パンフレットに複雑な胸の内を語っている。
まずは『ザ・シェルター』から。
核戦争避難用シェルター開発会社で働くサラリーマンのセンタ(小松和重)が、自社製品テストのために自宅の庭に置いたシェルターで家族4人が3日間過ごす実験をはじめる。どこかずれている妻のサトコ(日下由美)、「花火がしたい」と駄々をこねる小学2年生の娘カノ(占部房子)、シェルターを「かんおけ」と毒づく老父センジューロー(加藤健一)に手を焼き、あげくコンピューターが故障して、一家はシェルターに閉じ込められてしまう。
『ザ・シェルター』は、業務として実験レポートを書かねばならないセンタが必死なのに、家族はまるでのんびりして大変な温度差がある。いっこうに危機感のない家族に対し、「核戦争なんですよ、ミサイルが飛びかってるんですよ」と叱責するセンタのやりとりが繰り返されるのも、なかばルーティンのように楽しめる。
家族のやりとりは必ずしも台本通りではなく追加やカットもあり、音楽や小道具などにも工夫が凝らされ・・・というよりはそうとう遊んでいる印象で、そういうことが伸び伸びとできる作品であるということだろう。
俳優4人の芸達者ぶりを楽しみながら、どうしても「核戦争」「ミサイル」の台詞を「原発事故」「放射能」に置き換えてしまうのだった。近未来の童話のようなお芝居が、まさに現実になっているのである。実際スイスでは家庭用の核シェルターの設置が法律で義務づけられているために、一般家庭は100%の普及率だそう(公演パンフレットより)。
安全だと言われていた原発が事故を起こし、多くの方々が避難を余儀なくされた現実を知るとき、『ザ・シェルター』が内在するものは急激に重苦しくなる。
自分は先に新聞劇評(おそらく84年上演時)を読んで本作の結末に対する評者のとらえ方を知ってから舞台に接したという、やや残念な、しかしいまとなってはどうしようもない『ザ・シェルター』歴を持っている。
シェルターのなかが蒸し暑く、屋根に何かがぶつかる音がする。扉が開くと外はいちめんの夕焼けだが・・・。家族がシェルターにいるあいだに外では何が起こっていたかについて、戯曲には書かれていない。もしあの劇評を読まずに舞台をみていたら、どこまで自力で本作の終幕を読み解くことができたのだろうか。
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