*北村想作 大杉祐演出 公式サイトはこちら 下北沢本多劇場 11日まで(1,2,3,4,5)
『ザ・シェルター』のあと、15分の休憩をはさんで『寿歌』がはじまる。
不思議でならないは、これまで何度か『寿歌』をみているのに、いずれもほとんど記憶がなく、本作が自分の演劇歴に確かな足跡を残したという意識がないことだ。88年は、同じ加藤健一事務所公演、また1月にみたシス・カンパニー公演も同様だ。
したがって、本作が初演から30年以上も上演が続き、現代演劇の古典的存在になっていることにも実感が持てないのが、前回から24年ぶりのカトケン『寿歌』をみる前の状態であった。
だがしかし、いや驚いた。こんなことも起こるのだな。一種の奇跡であろう。
ヤスオがあっさりと去り、リヤカーを引くゲサクとキョウコに放射能の雪が降り注ぐ終幕。
リヤカーをとめてふたりがこちらをみつめたそのとき、客席から大きな拍手がわいたのである。カーテンコールの拍手とは明らかに違う性質のものであった。客席が受け取ったのは虚無や絶望ではなく、明日も生きていくふたりのすがた、すなわち希望ではないか。
ああ、自分は『寿歌』をみたかった、ずっと待ちわびていたのだと不覚にも涙があふれ、非常に驚いている。ここに至るまでに20年以上もかかった。そしてもし311が起こらなかったなら、自分は『寿歌』を受けとめることはできなかったかもしれない。今回の加藤健一事務所の舞台は予想外の手ごたえであり、忘れられない夜になった。やっと『寿歌』に出会えたのだ。
今夜はその喜びをそっと抱きしめることにして、以下の思い出におつきあいくださいませ。
ずっと以前深夜のNHKで、北村想と演劇評論家の扇田昭彦氏が対談をした番組をみたときのことだ。北村が自分がクリスチャンであるとさらっと告白したのである。どこかの教会に属して日曜礼拝に行くわけではなく、ひとりで伝道していた女の子から洗礼を受けたのだと。そんな自分がクリスチャン作家として、遠藤周作や曽野綾子などの大御所とならんで何かの名簿に記載されているとおもしろそうに話す北村に、扇田さんは絶句。
前後の流れは覚えていない。そこだけ切り取ったかのように、まるで冗談のように記憶に残っているのである。いまのところ、この話を裏づけるほかの資料にはゆきつけていない。
ところが今回の公演パンフレットに北村想の寄稿があり、「実はこのパンフには扇田昭彦さんとの、うんと昔の対談が掲載される予定だった。加藤さんの『寿歌』が紀伊國屋ホールで上演になった時に、NHKで収録されたものだ」と書かれている。
「私はこの時、大ポカをやっている」。リハーサルだと思って、「かなりヤバイ発言を何度もやっている」、「どういうワケか、扇田さんは汗を流して、その応対に懸命だ」と。
そんな対談だがディレクターは「適当にカットするから」とOKを出したのだそうだ。わたしの記憶にあるのは、適当にカットされてごく一部になったもののオンエアなのだろうか。こんなところにこんなことを書くのは「かなりヤバイ」のかしら。
次号で40号を迎えるえびす組劇場見聞録では、ひとつの作品の現在・過去・未来について書くことになっており、自分は『寿歌』に取り組む予定です。今夜の舞台に出会えたことを感謝してがんばる。どうかお楽しみに!
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