*丸尾丸一郎作 劇団鹿殺し構成 菜月チョビ演出 公式サイトはこちら 下北沢駅前劇場 21日まで
昨年冬の『僕を愛ちて』に続いて、今回が2度めの鹿殺しである。本作は2004年大阪、2005年東京で上演された『百千万』を、10名の新しい劇団員と3名の客演陣を迎えた改訂版とのこと。福井県美浜町の原発で事故が起こった。同じ年に生まれた少年「エンゲキ」(菜月チョビ)は脳がむき出しのように肥大し、自身のへその緒で全身がんじがらめの姿であった。母親(オレノグラフティ)は彼を産んですぐに失踪し、息子の醜さを悲しむ父親(丸尾丸一郎)によって、エンゲキはうちに閉じ込められたまま成長する。ある日偶然鏡をみて自分の姿を知ったエンゲキはうちを飛び出す。母親を探すため、そしてなぜ自分が醜く生まれたのか、自分には何ができるのかを知るために。
《ここから少し詳しい記述になります。公演ははじまったばかり。未見の方はご注意ください。》
幕開けの口上に始まり、エンゲキ以外は一人が数役を兼ねることもあって扮装もとっかえひっかえ、舞台装置や小道具に至るまで「これでもか」の気合いに満ちあふれている。いったいこの場面のここまでするのはなぜ?とは劇団新感線の舞台でも感じることだが、鹿殺しの場合そのどれもに手作り感覚がある。「手作り」というと、どこかつつましく地味で素朴な印象だが、鹿殺しの「手作り」には気合いと迫力がある。『僕を愛ちて』のときは、男優の肉体の露出や下ネタが少し気になった。今回もほぼ全裸に近い場面があったが、この寒い季節にここまでの体当たり、天晴れではないか。意味や効果などを考えるのが野暮に思えてきた。もうやれるだけやってください!
劇場入り口から少し広めの通路があって、中央に半端な長さの花道が作られている。俳優は通路や花道をどんどん出入りし、終盤、客席を巻き込んでの演出も効果的で、天井が低く、ステージが横に広い駅前劇場をうまく使いこなしていると感じた。
劇中劇のように『銀河鉄道の夜』を演じる場面がある。カンパネルラとジョバンニは、ほんとうの幸いを探して汽車に乗る。エンゲキも母を探し、自分の存在の意味を求める旅に出た。自分とは何か、演劇とは何か。演劇によって何ができるのか。『百千万』は鹿殺しの挑戦であり、客席の自分にとっては強烈なカンフル剤となった。本日は終演後に丸尾丸一郎による短いイベントがあって、ほんとうに短いが見終わった気分もそのままに明るく笑える気の効いたものであった。あれだけの舞台のあとに、まだ気合いが残っているのである。鹿殺し、恐るべし。
昨年冬の『僕を愛ちて』に続いて、今回が2度めの鹿殺しである。本作は2004年大阪、2005年東京で上演された『百千万』を、10名の新しい劇団員と3名の客演陣を迎えた改訂版とのこと。福井県美浜町の原発で事故が起こった。同じ年に生まれた少年「エンゲキ」(菜月チョビ)は脳がむき出しのように肥大し、自身のへその緒で全身がんじがらめの姿であった。母親(オレノグラフティ)は彼を産んですぐに失踪し、息子の醜さを悲しむ父親(丸尾丸一郎)によって、エンゲキはうちに閉じ込められたまま成長する。ある日偶然鏡をみて自分の姿を知ったエンゲキはうちを飛び出す。母親を探すため、そしてなぜ自分が醜く生まれたのか、自分には何ができるのかを知るために。
《ここから少し詳しい記述になります。公演ははじまったばかり。未見の方はご注意ください。》
幕開けの口上に始まり、エンゲキ以外は一人が数役を兼ねることもあって扮装もとっかえひっかえ、舞台装置や小道具に至るまで「これでもか」の気合いに満ちあふれている。いったいこの場面のここまでするのはなぜ?とは劇団新感線の舞台でも感じることだが、鹿殺しの場合そのどれもに手作り感覚がある。「手作り」というと、どこかつつましく地味で素朴な印象だが、鹿殺しの「手作り」には気合いと迫力がある。『僕を愛ちて』のときは、男優の肉体の露出や下ネタが少し気になった。今回もほぼ全裸に近い場面があったが、この寒い季節にここまでの体当たり、天晴れではないか。意味や効果などを考えるのが野暮に思えてきた。もうやれるだけやってください!
劇場入り口から少し広めの通路があって、中央に半端な長さの花道が作られている。俳優は通路や花道をどんどん出入りし、終盤、客席を巻き込んでの演出も効果的で、天井が低く、ステージが横に広い駅前劇場をうまく使いこなしていると感じた。
劇中劇のように『銀河鉄道の夜』を演じる場面がある。カンパネルラとジョバンニは、ほんとうの幸いを探して汽車に乗る。エンゲキも母を探し、自分の存在の意味を求める旅に出た。自分とは何か、演劇とは何か。演劇によって何ができるのか。『百千万』は鹿殺しの挑戦であり、客席の自分にとっては強烈なカンフル剤となった。本日は終演後に丸尾丸一郎による短いイベントがあって、ほんとうに短いが見終わった気分もそのままに明るく笑える気の効いたものであった。あれだけの舞台のあとに、まだ気合いが残っているのである。鹿殺し、恐るべし。
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