フェスティバル公式サイトはこちら タイニイアリス 26日まで
*金哲義(May) 作・演出 (1,2,3)
開演前の客入れからすでに主宰の金哲義が舞台に立ち、観客の誘導、自己紹介、マダン劇とは何か等々を熱く語り、出演メンバーもいっしょに賑やかな空気を作っている。ステージ上にもいくつか客席が設置されていたり、金氏の声かけに合わせて「○○!」(もう忘れてしまった・・・)と一斉に叫んだり、開演前からここまで盛り上げる劇団は珍しのではないか。基本的に前説、前振り、客いじりは苦手だが、金氏のしゃべり(トークとは違うと思う)は不思議に、うっとおしくないし押しつけがましくもない。本拠地の大阪の劇場なら、客席のノリももっといいだろうが、今夜のタイニイアリスのお客さまもなかなかだぞ。
1948年の済州島四・三事件がベースにあり、悲惨な体験をひとことも語らない母と日本で生まれ育ち、朝鮮語を解さない娘が、この世では話せなかった、聞けなかった祖国への思いを歌いあげる作品である。
「在日」であることの違和感や、自分を朝鮮人であるという自覚に行き着いている人とそれがしにくい人との距離感を言葉で表現することはむずかしく、また互いにじゅうぶんな理解をもつことも困難であると察する。同じ在日どうしだが、主人公の晴美は日本人の学校に通ったため、朝鮮学校を卒業した友だちとは共有できない感覚がある。四・三事件のことを話してほしいと訪れた青年を、母は激怒して追い返し、その心情を慮る父も口をつぐむ。晴美は朝鮮語の「アボジ」が「お父さん」であることすら知らなかった。家庭では祖国のことがまったくといっていいほど伏せられていたこと、母親の心の傷が深く複雑であることが示される。
舞台両サイドに楽器が置かれ、踊りの音楽だけでなく劇中のさまざまな生活音を表現する。青く澄んだ海や、そこで働く生き生きした海女たち、晴美の母が幼いころ、父母と過ごした幸せな日々が民族どうしの凄惨な殺し合いに一変、海に逃げた母は助けられて日本で家庭を持ち、一人娘の晴美をもうけた。歳月が流れ、祖国についてひとことも語らないまま逝った母の遺骨を持って、晴美は生まれてはじめて済州島の地に立つ。朝鮮語はまったくわからないし料理も口にあわないと故郷への違和感を露わにする晴美が、在日の友だちと地元の海女たちに促されて母への思いを必死で歌おうとするシーンは物語の白眉である。
金哲義の舞台はこれで4本めになるが、「パターンだ」とは感じない。前説か劇の前半であったか既に記憶があいまいだが、俳優が口ずさむメロディを観客にも歌うように促すところがあり、後半になってこのメロディが劇を盛り上げていくことがわかる。このときに自分は作劇のテクニカルな面ではなく、この歌を知ってほしい、歌う人の心に近づいてほしいという作者の願いのほうをより強く感じとった。金哲義をカテゴライズすれば、いわゆる「ウェルメイド」の劇作家に入るだろう。しかしなぜそのように作るか、話の運びをそのようにするかは、「よくできた作品を見せるため」、「作品をよりよく見せるため」ではなく(この部分を全く否定するわけではないが)、火を吹くようにぶつけられてくるのは、「伝えたいことがあるから舞台を作っているのだ」という心意気だ。
おもしろかった、楽しかったとひとことで片づけるには重苦しく、まして理解できた、共感したなどと言えるはずもない。晴美が友人たちや両親に対して感じる違和感や距離感とは別の場所で、自分もまた違うこと、距離があることをいよいよ強く意識させられるのだ。
作・演出の金哲義にとって、在日朝鮮人であることを前面に出した舞台を作ることの必然性をがっちりと受けとめるには、自分の立ち位置や意識は弱すぎ、もろすぎる。しかしいろいろな書籍や資料にあたったり、関連の映画やドラマをみて知識を増やしたら強くなるというものではなく、みるたびに互いの距離や自分のもろいことを思い知らされることを繰り返すのではないか。けれどそこで落ち込んであきらめず、またMayの舞台に会いたい。あの活きのいい舞台から元気をもらい、同時に自分の無知や無理解を自覚するために。
同じ日に参加しました。
後段の、「距離があることをいよいよ強く意識させられる・・・・・・・・自分の立ち位置や意識は弱すぎ、もろすぎる。」は、私達よりも、金哲義氏側の想いではないでしょうか・・・?
悲痛な叫びと私は思いました。
何故、金哲義氏は、敢えてこの演目を選んだのか・・・?そして、マダンを演出したのでしょう・・・?
彼の書いた公演挨拶で注目したワードは(僕は行けなかったけど)でした。彼の失った故国かも知れません。多分そうでしょう。
私はこれを、東日本大震災と原発の被災地・被災者に例えてみると、とても良く理解できるように思いました。
なくしたもの(亡くした者・無くした物ともに)を失って、耐え抜いて、再び立ち上がり、前に進む勇気を期待し讃えたい・・・出来れば共に・・・と。
評論は客観ではあっても逃避ではなく・・・例え共有出来なくても、想い考えること、出来得れば事実を直視して、立ち位置の弱さを縮める為のより強い意識を持って、少しでも近づく努力が必要!と考えます。今後も、素敵な文脈文節の因幡屋通信を楽しみにしています。
失礼致しました。
Mayの舞台には不思議な力があります。たくさん笑ってホロリとさせ、自分の無知や無理解に落ち込ませもします。しかし総長さんの言われるように「評論は客観ではあっても逃避ではなく」、ときには共有できないことを軸足にして新たな論考をすすめることもできるかと思います。
自分は総長さんのコメントを励ましのメッセージと受けとめました。構いませんでしょうか?
これからも因幡屋通信/因幡屋ぶろぐをよろしくお願いいたします。