因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

NODA・MAP『ロープ』

2007-01-17 | 舞台
*野田秀樹作・演出 シアターコクーン 31日まで。公式サイトはこちら。
 舞台女優の条件とは何だろうか、しかも大きな劇場で主役ができるというと?森光子や麻実れいや大竹しのぶ、松たか子や寺島しのぶなどを次々に思い浮かべてみるが、必須条件が特定できないことに気づく。美しさひとつとっても女優AとBでは、美しさの意味合い、見せ方が違うし、演技力といっても熱演型もあり、受けの演技が光る人もいる。
 
 今回宮沢りえ初見である。公演期間中に紀伊國屋演劇賞を受賞した。3階席からオペラグラスを通してみるりえちゃんは、色白で華奢だった。声もよく通る。舞台女優として「手垢がついていない」印象を持った。この表現はちょっと問題ですかね。「手垢」って誰の手垢だ?とか、じゃあこれまで野田の舞台に出演していたあの人この人はどうなんだ?とか。

 劇世界の導入はプロレスだが、リングでの試合が戦場での殺戮にエスカレートしていく様子はみるものを震撼させる。 観劇から2日後に映画『硫黄島からの手紙』をみたこともあって、「戦争とは殺し合いなのだ」という当たり前のことが胸に重くのしかかる。

 終始姿をみせず、テレビクルーたちに視聴率を上げることを要求しながら、次第に戦争へと煽動する「ユダヤ人の社長」は米国やロシアなどの大国を指しているようでもあり、人間の心に潜む暴力への欲望を暗示しているようでもある。リングの下に隠れていたタマシイ(宮沢りえ)は、その同じ人間が本来持っているはずの(持っていてほしい)良心を象徴する存在ともいえよう。ラストシーンのノブナガ(藤原竜也)の台詞は、ほとんど祈りの響きをもつ。戦いの絶えないこの世にあってもどうかタマシイが、人間の良心が滅びないでいてくれますようにと。

 観劇から一週間以上たつのに心の中がまとまらないが、4年前の『オイル』よりも深く受けとめられたと思う。藤原竜也はその『オイル』や昨年の『ライフ・イン・ザ・シアター』や『オレステス』よりも魅力的だった。野田秀樹の作品世界を体現できる俳優として力をつけてきたことがわかる。どこか現実離れして生活実感を感じさせない面(特にルックス)と、今回のような「青年の純情」という泥臭い面を併せ持ち、表現できる。これからますます目が離せなくなりそうだ・・・と結局今回もまずは藤原竜也くんに惚れ惚れの2時間であったことは間違いなく、戯曲も読んでまとまらない心のうちを整え、道筋を作ることが課題である。

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