「宇治拾遺物語」(うじしゅういものがたり)は、鎌倉時代前期(建暦2年(1212)~承久3年 (1221) 成立と推定される日本の説話集。
その中に、「鬼に会った修行者」がある。
昔、ひとりの仏教修行者が、諸国を巡って津の国 (現在の大阪府と兵庫県にまたがる地方) まで来た時、日が暮れたので、竜泉寺と言う荒れ果てた寺に入った。
不気味な寺であったが、修行者は、不気味さに押しひしがれない様に、不動明王真言を一心に唱えて座っていた。
すると、真夜中と思われる頃、大勢の人の話し声が「がやがや」と聞こえてきて、近づいてくる。
見ると、百人ばかりの者が、松明を手に御堂の中に集まってくる。
その姿を見て、修行者は「ぎょっ」とした。
それは人間ではない。
「一つ目の者」「角の生えた者」・・・頭の格好のなんともいいようものなく不気味な鬼ども。
恐ろしさで修行者は消え入りそうであった。
固く目をつぶって、ひたすら不動明王を念じて小さくなっていた。
鬼どもは皆、それぞれの座についた。
けれど、一匹の鬼は座る所がなく、修行者を、じろじろと見つめて言った。
「わしの座る所に、今夜は見なれぬ不動様がござらっしゃる。申し訳ないが、今夜は外にいてくだされや」
そういうと、片手で「ひょい」とつまんで、修行者を軒下に下したのである。
やがて、夜が白みがかってきた。
「お、もう朝か・・・」
口々にそう言うと、がやがやと騒ぎながら、鬼どもはどこかへ帰っていった。
(なんとも気味悪い、恐ろしいところだろう。こんな恐ろしい所は、早く離れてしまいたいわい)
そして、夜が明けた。
ほっとしながら、辺り見渡すと、修行者は、わが目を疑った。
夜前の寺が無い!
一面、ぼうぼうと続く野の中に、自分は一人でいるではないか。方角もわからないし、行先もわからない。
呆然と立ち尽くしていると、馬に乗った人が大勢の共を連れて通りかかる。
修行者は嬉しくなり、
「もし、ここは、どこでしょうか?」と、たずねると、共の一人が、
「ここは肥前の国 (佐賀県と長崎県にまたがる地) に決まってますがな」と答えた。
修行者は、昨夜の不思議な経験の一部始終を伝えた。
「なんとも不思議な話じゃ。我らは、町へ出て、国司の庁へ参ろうとしている者」
と、馬上の人は言う。
修行者は、途中まで一緒に連れて行ってもらった。
そして、船を求めて京へのぼったのである。
京にのぼった修行者は、会う人みんなに、この恐ろしい不思議な経験を語った。
・・・ここに登場する鬼は・・・生前は、仏道修行者だったのか?
仏教は、「戒 (かい) 」「定 (じょう) 」「慧 (え) 」の三学が基本で、もっとも大切と言われる。
戒定慧 (かいじょうえ) 三つとも最初から存在しない宗派もあるが、
修行荒行をメインにする宗派も、「修行」ばかりやって、「学」と、それ以上に大切な「戒律」を、おろそかにする修行僧も昔は結構いたそうであり、
そういう「行」に偏った僧が、死後、鬼神や天狗になったりする、と・・・聞いたことがある。
仏僧ゆえ、地獄には堕ちず、さりとて、道徳が無いため極楽 (天上界) にも往けず、
魔界に入ってしまうと言うのだ。ただ、「戒」「定」「慧」三つとも無ければ、これは、仏教ではなく、外道・・・違う道である。
・・・この説話を読んでみて、
見た目が恐ろしい、そして、不思議な通力を持つ鬼たち。
荒れ寺に集結し、夜が明けると帰る。
定期的に、例祭とかをやっていたのであろうか?
神通力が強すぎて、「見なれぬ不動さん (修行者) 」を、「ひょい」とつまんで軒下に下ろしただけで、遠く離れた九州まで飛ばしてしまう。
本気でぶん投げたら・・・
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