タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

殺生と悪業・・・

2023-05-02 18:26:33 | 日記

仏教では、殺生 (人だけでなく、様々な生き物を殺すこと) を、もっとも戒める (禁ずる) 。

お釈迦様は、菩提樹下で悟りを開いた時、「御自身の無数の過去世を思い出し」、「他人の無数の過去世を見」、「他の生物の無数の過去世を見」、「宇宙の成立期」「宇宙の破壊期」「宇宙の成立破壊期」も無数に見ると言う、「真理そのもの」になると言う体験をされた。 菩提樹下の瞑想と言う「ごく限られた短い日数の中で」、時空を超えて、宇宙の輪廻と言う途方もなく長い時間の歴史を垣間見ると言う体験をせられた。これを、「覚醒 (かくせい)」と言う。

その体験から、お釈迦様は先ず、「不殺生」を、出家・在家問わず説かれている。

他人や他の生物を傷つけたり、殺したりする行為が、それを行った者にどのような形で返ってくるかを、菩提樹下の悟りで垣間見ておられるからである。

人間としての道徳心・正しい信仰心の欠如からか、昨今の日本では、猫や、その他生物を無惨に殺傷する事件が相次ぐ。(死亡現場で花束置いて祈るなどと言う、捻じ曲がった信仰心は大流行りであるが・・・前述している通り、故人に思い入れあるなら、その人の葬儀や墓参りに行けよ・・・と思う。なぜ、死亡現場で花束置いて祈るのか・・・たぶん、欧米などのキリスト教文化圏の影響だと思う。ニュースでも、遺族の方からのコメントは、目立たない形で、「そっとしておいていただければ」と質素にしか伝えないので。視聴者には届かない・・・でも、たいてい、どの事件でも、「そっとしておいて下さい」「そっとしておいていただければ助かります」と言う遺族の声が多かった気がする)

殺生・・・生き物を殺す・・・と言う行為は、結果的に未来世において自分に返ってくるので、生き物を殺すことは、自分自身の未来を殺すことになるのである。そもそも、この地球上で一番「強い」人間が、人間より弱い生物を殺生するとは何事かと言いたい。ライオンでも、ハンティングと称して撃ち殺すのがスポーツみたいになっている。ライオンでもその他サバンナの生物でも、彼らが何か罪を犯したとでも言うのか。

因果と言うものは、様々な事象が複雑に絡み合っているので、すぐに熟して結果がでるものではない。

ただ、生き物を平気で殺す者は、たいてい、心根も暗く、ウソを平気でつき、自己中心的であり、利他心に乏しい。横死・変死する者の特長がまさにそれである。

逆に、生き物に対して慈悲心があり、保護活動などをしている人たちは、心根が綺麗であり、目が清んでいる。様々な労苦に耐えられる精神を持ち合わせている。

私もいくつかの動物愛護団体の会員になっている。私はヘタレ会員だが、活動している人たちの表情は生き生きとしている。目が信念に満ちている。

福井県の御誕生寺は「猫寺」としても有名な曹洞宗寺院だが、初代の故・板橋興宗さんは優しい目をしていたなあ・・・。はじめてテレビで取り上げられた頃は、保護猫もまだ数が少なく、故・板橋興宗師もまだお若く、寒い中雲水たちと托鉢に行き、帰ってきた時、猫に手を置いて、「おーっ暖けえ」と言っていたのが印象に残っている。

・・・・・今日は、久しぶりにトンビのお嬢が来ました。一番大きい初代か、二代目かは判別できませんでした。

ゾウムシがいるので近づいて見ていると、地面に「タカラダニ」が数匹いました。

ミニっちゃいですが、真っ赤っかです。何を食べているのかは不明です。

・・・・・


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