ブッダの、
「真理のことば (ダンマパタ) 感興のことば (ウダーナヴァルガ) 」より。
原始仏典のうち、ブッダの教えを集めたもの。
無作為に選んで書き記します。 できるだけ我々一般人でも読める「ことば」を選ぶようにしています。
「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心を修めることは善いことである。心を修めたならば、安楽をもたらす」
「水の中の住居から引き出されて陸の上に投げ捨てられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとして、もがきまわる」
「心は別々の方向に走る。 太陽の光線のように。それ故に賢者は心を制する。 鉤 (かぎ) で象を制するように」
「この心は以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。いまや私はその心をすっかり抑制しよう、 あたかも象使いが鉤を持って、発情期に狂う象を全く押さえつけるように」
「汝は、幾多の生涯にわたって、生死の流れをくりかえし経めぐって来た、 家屋の作者 (つくりて) を探し求めて。あの生涯、この生涯と繰り返すのは、苦しいことである」
「家屋の作者 (つくりて) よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁は全て折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、汝はこの世で滅びてしまった」
「物事は心に基づき、心を主とし、心のように疾 (と) く動く。もしも清らかな心で話したり行動したりするならば、福楽はその人につき従う。影がその体に付き従って離れないようなものである」
「心を流し去る三十六の激流があれば、その激流は、悪しき見解をいだく人の貪欲に根差した想いによってその人を漂わし去る」
「汝はつとめておれ。なおざりになるな。 欲情の対象が汝の心を乱さないように。なおざりの故に鉄丸を呑むな。地獄では (灼熱した鉄丸で) 焼かれる時に泣き叫ぶが 。」
「心を乱れさせるために現れ出たこれらの粗大な思考及び微細な思考を絶え間なく思いつつ、心の乱れた人は常に走る」
「知識あり、勤めはげみ、身を慎み、心を安定統一させ、禅定を楽しみ、聡明なる人は、再び迷いの生存に生まれないために、心のこれらの思考作用を悉 (ことごと) く捨てる」
「この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器を持って、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執著するな」
「この世界は泡沫のようにはかないものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器を持って、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執著するな」
「汚れの無い心で、一つの生き物さえも慈しむならば、それによって善が生じるであろう。生けとし生けるものを全て心で慈しむならば、聖者は多くの功徳を積むことになる」
・・・大昔、私が二十代の頃、会社の近所にあった駄菓子屋で、少年がセミを助けようとしていました。
交尾・産卵が終わったセミは、やがて一生を終えるのですが、その際、「ひっくり返って」じたばたして・・・やがて6本の手足を綺麗に折りたたんで、天 (上) を向いて息絶えるパターンが多い。
少年は、「じたばた」して苦しんでいるセミを、普通の姿勢に戻そうとするのですが、戻してもまた「ひっくり返る」。
聞けば、「かわいそうだ」と言ってました。
「汚れの無い心で」と言うのは、そういうのを言うのかも知れません。
今朝は、電線に白黒ミニー (ハクセキレイ) が留まっているので見ていたら、スズメが一羽飛んできて、白黒ミニーのすぐ傍に留まりました。
珍しい光景を見たものです。トンビの金若も舞ったので、また撮影しようとしたら、とにかく動くので、遠目しか写せませんでした。毎回、金若が黒若に写ってしまいます。
追記で・・・うちの庭にいるアマガエルは、桜の木のアマガエルは数日前元気に鳴いていました。今しがた、二階ベランダに毎年来るアマガエルも、「きゃっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃっ」と鳴きました・・・。
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