ブッダの、
「真理のことば (ダンマパタ) 感興のことば (ウダーナヴァルガ) 」より。
原始仏典のうち、ブッダの教えを集めたもの。
無作為に選んで書き記します。
お釈迦様の語られた「ことば」が多いですが、中には高弟が語られた「ことば」も含まれている気がします。
原始仏典は、出家の弟子向けに語られたお経が大半ですが、なんとか在俗の我々にも読めるお経を選ぶよう心がけています。前も書いたように、「真理そのもの」であるお釈迦様の教えは、対機説法・応病与薬・・・機に応じて変化する答え方で、相手のレベルに応じて答え方が全く変わります。同じ「死後の世界はあるのか、死後の魂はあるのか、転生はあるのか」聞いても、出家者に対する答えと、在家者に対する答えはちがいます。四角四面にしか答えない、生悟りの似非導師と違い、千変万化して、相手を正しい道に誘う答え方・・・これが本物のブッダであるお釈迦様の姿勢です。
「来世のために功徳を積め。功徳は実にあの世における人々のよりどころであるからである」
※ お釈迦様は、在俗の我々には、「布施 (他者・・・人や鳥獣も含め、他者への施し)」をせよ、と何度も説いておられます。「道端のアリに砂糖を布施するだけでも功徳になる」と仰られている反面、
ある国の国王に、「悪人に対して施しても功徳になるのですか?」と聞かれ、「悪人に施しても功徳にならない」と答えておられます。
「悪人と善人とは、死後に異なったところにおもむく。悪人は地獄におもむき、善人は天上に生まれる」
「悪い心のある人々は実にウソを言う。つねに地獄 (の苦しみ) を増して、おのれを傷つける。
欠点の無い力のある人は、心の混濁を除いて、(すべてを) 忍ぶ」
「信仰と戒めとを保ち、生き物を傷つけず、慎みがあり、自ら調えている人は、汚れ (けがれ) を去った賢者であり、「端正な人」と呼ばれる」
「信仰の無い人とつきあうな。水の干からびた池の様なものである」
「不死に到達するために、めでたい真っすぐな、八つの仕方より成る尊い道 (八正道) を修する人は、安楽を求めて正しく行うので、幸せを得、またどこでも名誉と名声とを得る」
「この世で食物や飲料を (多く) 所有している人は、たとい悪いことを行っていても、彼は (愚かな) 人々から尊敬される」(悪逆な方法で金持になった人は、同じような悪逆な人々から尊敬されると言う意味)
「ブッダ (お釈迦様の事) に帰依した人々は得ることがある。 彼らは昼も夜も常に仏 (お釈迦様のこと) を念じているので」
「法 (お釈迦様の教え。真理のこと) に帰依した人々は得るところがある。 彼らは昼も夜も常に法を念じているので」
「衆 (サンガ・・・お釈迦様と弟子たちの集いのこと) に帰依した人々は得るところがある。 彼らは昼も夜も常に衆を念じているので」
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