ブッダの、
「真理のことば (ダンマパタ) 感興のことば (ウダーナヴァルガ) 」より。
原始仏典のうち、ブッダの教えを集めたもの。
無作為に選んで書き記します。
「先ず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ」
「自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。私は常に我が身をよく調えている。自分というものは、まことに制し難いものである」
「この世では自己こそ自分の主 (あるじ) である。他人がどうして (自分の) 主であろうか? 賢者は、自分の身をよく調えて、(自分の) 主となり得る」
「素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、常に清らかで徳行のある人が一日生きる方が優れている」
「不動の境地を見ないで百年生きるよりも、不動の境地を見て一日生きる方が優れている」
「百年を満たすほどの間、林の中で (祭祀の) 火の神に仕えるのと、また己が身を修養した一人の修行者を一瞬間でも供養するのとでは、その修行者を供養する方が優れている。百年祭祀 (まつり) を営むのは、そうではない」
「明らかな智慧のある人が友達としてつき合ってはならないのは、信仰心なく、物惜しみして、二枚舌を使い、他人の破滅を喜ぶ人々である。悪人たちと交じるのは悪いことである」
「明らかな智慧のある人が友達としてつき合うべき人々は、信仰心があり、気持ちの良い、素行の良い、学識豊かな人々である。けだし立派な人々と交じるのは善いことである」
※ ここで言う信仰心とは、「正しい信仰心の」ことと思われる。
「つき合っている悪人は、悪に触れられているが、また他人に触れて、悪をうつすであろう。毒を塗られた矢は、矢筒の束の中にある、毒を塗られていない矢をも汚す。悪に汚れることを恐れて、思慮ある人は、悪人を友とするな」
「どのような友を作ろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人は、その友のような人になる。人と共につき合うと言うのは、そのようなことなのである。
それ故に、賢者は、自分は、果物籠が (中に入れる果物に) 影響されるようなものであると言う理 (ことわり) を見て、悪人と交るな。善人と交れ」
ブッダのことばより後の時代の諺 (ことわざ) 西洋の諺に、
「悪貨は良貨を駆逐する (グレシャムの法則) 」があり、
元の意味とは別に、使われる意味合いとしては、
「悪がはびこると、善が滅びてしまう」「悪い人間がはびこると、良い人間たちを堕落させてしまう」といった意味合いで使用されます。
これは、いちばん最後に記したブッダのことばともよく意味が似ています。
ブッダのことばや、悪貨は良貨を駆逐するの諺の意味・・・日本含めた各国の政治を見れば、「火を見るより明らか」です。ロシアや中国の政治も「あれ」ですが、日本の政治も腐りきっています。
今の政権も、「我欲は深い」が、「道義心は微塵も感じられない」、「国民の税金は、自分の自己実現のためには、湯水のように使う」・・・ように見えます。
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