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特別追悼展「高倉健」に期待したい

2015年11月10日 06時46分54秒 | 高倉健

高倉健さんが亡くなってから、今日でちょうど1年です。そこへ特別追悼展「高倉健」のニュースが届きました。記録しておきましょう。

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追悼特別展「高倉健」:来年11月から各地で 健さん、お別れの旅へ
毎日新聞 2015年11月10日 東京朝刊

 毎日新聞社は2016年11月から、俳優・高倉健さんを追悼する特別巡回展を東京ステーションギャラリーを皮切りに日本各地で開催する。美術家の横尾忠則さんがアートディレクターに就任し、高倉さんの養女・小田貴(たか)さんとともに作り上げる大規模な展覧会だ。高倉さんと深い親交があった横尾さんに2人のエピソードや特別展への構想を語ってもらった。聞き手は同ギャラリーの冨田章館長。【鈴木隆、立川明子、宮脇祐介】

 ◇「礼節が大切」実践した人 横尾さん

 ◇健さんへの思い一つにしたい 冨田さん

 冨田 健さんとの関わりについてお話しいただけますか。

 横尾 最初は「日本〓客(きょうかく)伝」(注1)だと思うんですよ。それから健さんの映画を連続的に見るようになって「ぜひ健さんに会ってみたい」という気持ちが盛り上がって。ある時「会ってもいい」と連絡をもらったんです。

 冨田 (会ったのは東京・赤坂にあった)ホテルニュージャパンですね。

 横尾 1階の喫茶室でした。会った時、パネル貼りした写真をもらったんです。健さんが後ろ向きでドスを持って、背中に入れ墨をしてる写真。僕の名前入りでサインまでしてあって、感動しましたねえ。

 ◇「切ないね」感情凝縮

 冨田 健さんのどこが良かったんですか。

 横尾 言葉でそれなりのことは言えるんですけど、感じるものっていうのは簡単に言葉に置き換えられないんですよ。「いいね」。これだけです。

 冨田 分かる気がします。健さんと長い交流が続いたわけですが、印象に残るエピソードはありますか。

 横尾 ありますけど、健さんが存命だったら「余計なこと言わなくていいでしょ」と言われそうです(笑い)。ある夜、事務所で一人仕事をしてたんですよ。そうしたら健さんが入って来られた。長旅をしてたっていう雰囲気なんですよ。無精ひげを伸ばして、オーラ消しちゃった感じで、しみじみ語られました。ぼそっ、ぼそっと、言葉をかみ締めながらね。夜、北陸を車で走ってたら海岸で夫婦が車の外で痴話げんかをしてた。そんな光景は「見てて切ないですね」って。それだけ。「切ないですね」っていう言葉に、ものすごい感情が凝縮されてて。

 冨田 ううーん。

 横尾 やくざ映画に食傷気味になったような雰囲気で来られたこともあります。打ち切ってもいいんじゃないかと。まだ世間は、それを求めていないし、僕もいつまでもやってくださいみたいな気持ちがあったわけですよ。でも、健さんの中では別の時間と感情が流れてた。それで僕が「じゃあ、どんな映画を作りたいんですか」って言ったら、しばらく考えて突然ルルーシュの「男と女」(注2)、ああいう映画がいいねって。

 冨田 そんなことがあったんですね。

 横尾 僕の中では、やくざ映画イコール高倉健だったから、突然ルルーシュが来ちゃうとさ、「困ったな」と思ってね(笑い)。ビートルズが突然インドに行くと言った時びっくりしたけど、同じような感じを受けて。やがて第2ステージ、「幸福の黄色いハンカチ」とか全く違う健さんになっていくんですけどね。

 冨田 健さんも横尾さんも表現をする人。共通点を感じることはありますか。

 横尾 僕は(作家の)三島(由紀夫)さんからこんこんと言われたんです、「芸術家に一番必要なものは礼節だ」って。その言葉を健さんが実践してらした。そこが共通点かな。健さんが「三島由紀夫の映画を撮りたい。ついては三島夫人に声をかけたい」という話をされたことがあって、僕が目の前で夫人に電話したんです。そうしたら、夫人は「高倉さんが映画をお撮りになろうとしてらっしゃるんですか」って。「ご本人に会って聞いてください」と言うと「高倉さんが主人の自伝的映画を撮ろうとしてらっしゃるんでしたらお断りします」。健さんに伝えるとしばらく沈黙された。で、長年温めてきたのに突然「この映画はやめます」と言いました。僕は「礼節ってこういうものだ」と思わず感じました。

 ◇回顧展を超えて

 冨田 健さんの展覧会の話を聞いた時驚いたんです。「なぜ美術館で?」と。でも、いろいろ考えてやってみようと。その時、横尾さんに関わってもらうことで、一つ意味合いを持たせられると思ったんです。単なる回顧展ではなくて、高倉健へのオマージュ(敬意)というか。

 横尾 僕の個人的な気持ちを離れたところで高倉健を表現できないかと考えています。ぎりぎりになった時に、何かの力が働くのを期待している。健さんの想念や、みなさんの力です。

 冨田 みなさん健さんに熱い思いを持っている。いろんな人の思いが一つになれば面白いなと思うんですよ。

 横尾 僕は一人の作家として物を作る時には、作品が批評になってないと意味がないと思っているんです。映画監督が映画を作る時、映画の歴史の文脈の上に立って映画を批評するような映画ってあるじゃないですか。それはやっぱり傑作ですよ。

 冨田 すごく重要な視点ですね。ところで、健さんといる時は心地よかったですか。

 横尾 心地いいっていうか、幸せな感じかな。健さんが来られるというのが分かれば、その日は一日幸せ。帰られた後も何か幸せな空気が……という方です。今この瞬間でも、どこかの誰かと誰かが健さんの話をしてますよ、幸せな気分で。(特別展では)見る人の感性と知性を試すような、何かができるといいですよね。

 冨田 そうですね。来た人に直感で感じてもらえるようなものができればと思います。

 ◇注1

 高倉さんの代表作の一つ。1964年に公開され、大ヒット。71年までシリーズ化され、高倉さんの人気を不動にした。

 ◇注2

 1966年製作のフランス映画。世界的な映画監督クロード・ルルーシュの出世作。カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得するなど、フランシス・レイの音楽とともに一世を風靡(ふうび)した。

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 ◇映画大手4社トップ、健さんを語る

 国内の映画大手4社のトップが、一周忌を迎えた高倉健さんの思い出と特別展について語った。

 ◇存在自体に深みがある 松竹・迫本淳一社長

 本当の意味での大スター。これだけ多くの日本人の心に残っている俳優はそういない。松竹の「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)など2作品は、山田洋次監督と健さんという才能と才能が触媒になってできあがった作品。結末が分かっているのに感動する。健さんという存在自体がかっこいいし深みがある。大人の恋愛映画を作りましょう、と何度かお願いしていたんですが残念です。

 今回、美術館で追悼展をやる意味は大きい。映画や俳優の地位が上がる。関係した映画各社全部が協力するのも珍しいし、価値あること。お客さんそれぞれの健さん像を、出演作品でもプライベートな部分でも増幅してもらいたい。僕にとっては、健さん、横尾忠則さんとも学生の頃からのヒーローでい続けてきた人。追悼展を通して俳優と人間性の両面で素の健さんに触れられたら素晴らしい。

 ◇「あなたへ」作れて幸せ 東宝・島谷能成社長

 初めてお会いしたのは1983年夏の函館。「居酒屋兆治」のロケ現場だった。私は宣伝担当で、車から颯爽(さっそう)と降り会釈してくださった姿が心に焼き付いている。高倉さんは、私にとって「思いがけない人」。思いがけない時にコーヒーに誘ってくれたり、筆圧の深い想(おも)いがこもった手紙が届く。あれから1年。不思議と喪失感はない。また電話がかかり、手紙が届くのではと思うくらい。作品の理解、脚本の読み込みは深く、多くの映画人が心から敬意を払う映画俳優だった。高倉さんとの出会いは映画人生の中で大きなターニングポイントになった。「あなたへ」(2012年)の脚本を読んでOKと言ってくれてうれしかった。この作品を最後に作れて本当によかった。幸せだった。追悼展では多くの人が高倉さんと出会い、思い起こす瞬間があればいいと願っています。

 ◇どの映画にも男の憂い 東映・多田憲之社長

 高校2年の時に「網走番外地」を見て以来の大ファン。高倉健さんと藤純子さんが好きで「会いたい」と思って東映に入社したと言ってもいい。任〓(にんきょう)映画が大好き。学生運動のさなかにあって反権力の象徴というか、庶民の怒りを体現していたんです。仕事で最初にお会いした時からオーラがあって凜(りん)としていた。東映が築き上げた(役者重視の)スターシステムと庶民に目を向けた映画の内容とが健さんにピッタリ合ったんでしょうね。お客さんは健さんに自分の人生を投影したんです。私は「鉄道員」(1999年)「ホタル」(2001年)などで関わったが、仕事をしてもファンのまなざしで見てしまう時があった。東映を離れた後も、役柄は変わっても、どの映画にも男の憂いがあって過去の重荷を背負っている。追悼展では映像はもちろん、古い作品のポスターも楽しみです。

 ◇国民俳優と呼べる人 KADOKAWA・角川歴彦会長

 吉川英治を国民作家と言うように、健さんは国民俳優と呼べる人。スターになってからは生涯脇役は引き受けなかった。フランスの偉大な俳優ジャン・ギャバンと立ち位置は同じと思いながらそこは違っていた。「単騎、千里を走る。」(2005年)の撮影時も脚本を改めるたびに健さんの出番が増えたと聞いている。でも、みんな納得してしまう。そんな俳優は他にいない。マスコミはよく「人のいい、気遣いの人」と言う。実際に、温かい人なんだけど毅然(きぜん)としていて、僕はそういう面も大好きなんだ。

 追悼展では健さんの知られざる姿なんて全くいらない。一般の人は「健さんは健さんであり続けてほしい」と思っている。そんな気持ちを裏切らないでほしい。お客さんがお別れができるように、「今までありがとう」って心からいえる空間にしてほしい。

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 ◇出発は東京駅

 特別展では、幅広い人々に愛された高倉健さんの生涯を残された多くの資料と映像、愛用の品々でたどる。

 展示は大きく分けて2部で構成。第1部は、映画俳優としての高倉さんの歩みを再現する。出演映画の映像、ポスター、写真……。主な作品をピックアップし、本人の書き込みの入った台本なども展示する。

 第2部では、アートディレクターを務める横尾忠則さんが高倉さんの魅力を引き出す。高倉さんが愛用した品々を美術的な視点を加えて空間展示し、新たな「高倉健」を表現する。映画俳優をアートにする斬新で実験的な試みを通して、高倉さんの実像に迫っていく。

 高倉さんが亡くなってから10日で1年。これまで高倉さんの遺志により、葬儀やお別れの会などは一切行われなかった。だから、特別展には、東京駅(東京ステーションギャラリー)から、旅好きな健さんが全国へとお別れの旅に出るという意味合いも込められている。

 東京からまず向かうのは故郷・北九州。次いで「網走番外地」シリーズや「駅 STATION」など多くの作品の舞台となった北海道。道内各地をめぐった後、日本各地を巡回する予定だ。

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 ◇追悼特別展「高倉健」

<会期>2016年11月19日(土)〜17年1月15日(日)

<会場>東京ステーションギャラリー(JR東京駅内)

<問い合わせ>毎日新聞社事業本部 (03・3212・0190=平日午前10時〜午後5時)

主催 毎日新聞社、東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)

特別協力 高倉プロモーション

協力 一般社団法人日本映画製作者連盟

特別協賛 健康家族

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ぜひ一度出かけたいと思います。過去40年近く、人生を支えてくれた人ですから。

心よりご冥福をお祈りします。改めて、合掌。


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