連載2回目です。記録しておきましょう。
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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:2 4歳の初舞台、泣き続けて代役
朝日新聞 2017年7月11日05時00分
1948年、4歳の時の初舞台「ひらかな盛衰記 逆櫓」で初代中村吉右衛門(左)と=本人提供
■歌舞伎俳優・中村吉右衛門
初代吉右衛門の一人娘が、ぼくの実母の正子(せいこ)です。初代は母を跡取りの男の子と思って育てていたようで、実母が初代松本白鸚(当時・五代目市川染五郎)と結婚すると言うと怒っちゃいましてね。すると母は「嫁に行ったら男の子を2人産んで、1人をうちの養子に出して吉右衛門を継がせる」と言って嫁入りしたのです。母は「女の一念岩をも通す」で、男の子を2人産んだ。1942年に兄(九代目松本幸四郎)、44年5月にぼくが生まれました。
《4歳での初舞台は、東京・築地の東京劇場。「御存俎板長兵衛(ごぞんじまないたのちょうべえ)」の倅(せがれ)長松と、「ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)」の「槌松実(つちまつじつ)は駒若丸」をつとめた》
初代のお弟子さんが化粧をしてくれましたが、駒若丸ではぼくが泣いて化粧がうまくできない。舞台に出てもやっぱり泣いちゃう。初代に「やめちまえ」と言われました。
普段は「坊よ、坊よ」とかわいがってくれる祖父が、役ではケガをして血を流している恐ろしい顔だったので、怖かったんじゃないかな。結局、弟子の子どもさんが代役に立ってくれました。初舞台では前代未聞でしょう。
長松の方は顔を真っ白に塗り、肝のすわったところを見せ、「だれだと思う、えー、つがもねぇ」とタンカを切る。お客様が拍手してくれるし、気持ちのいい役なので、喜んでやっていましたね。
口上の時は初代の隣に座ってお辞儀をしました。初代が「養子にして二代目を継がせます」などと長く述べているので退屈でした。あぐらをかかせてもらっていましたが、ふと下を向くと赤いふんどしが目に入った。垂れている部分を引きずり出し、アイロンをかけるように手でしわをのばしていたら、客からじわじわと笑いが起きました。
我々兄弟の世話をしてくれていたばあやのたけが、初代に言われて客席の後ろの方から様子を見ていた。初代にはごまかしてくれたようですが、たけは死ぬまで「あんなに冷や汗をかいたことはなかった」と言っていました。
(聞き手 山根由起子)
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二代目吉右衛門の著書は全部読んでいて、このエピソードも知っているはずなのですが、忘れていました。長松はやったのに、駒若丸は途中降板したというのにはびっくりしてしまいました。名優・吉右衛門にも、こんなことがあったのかと驚かされます。
それにしても、4歳ですからね。いまだとその幼さで2本に出演するというのはあり得ない話です。大変なことを初代吉右衛門は要求したものです。
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