新潮新書完全制覇と叫んだ手前、シコシコ読んではブログを書いている毎日です。読書という知的行為そのものが楽しいのはいうまでもありませんが、決めたことをやり続ける快感が大きいのが「完全制覇」の持つロマン(!?)です。そしてその結果、いま読んでいる本の中から将来にわたって繰り返し読みたくなる本との出会いがあれば、と願ってもいます。
そんなゴウ先生の孤独な作業を精神的に後押ししてくれる新潮新書がありました。それが今回の推薦図書です。
著者の作品では、ゴウ先生、新潮文庫に収められた『靖国』を読んだことがあります。タイトルが示すとおり、靖国神社にまつわるアレコレが綿密な史料を元に編年的に(chronologically)再現されている本です。タイトルから、時節柄きな臭い内容を想像されるかもしれませんが、単純なサヨク・ウヨクの立場分けから論じられる本ではありません。研究者としての学術論文作法の正式な訓練を受けたことがおありであることが一目で分かる誠実な本です。
そういう著者の本ですから、ゴウ先生、かなり期待しました。その期待にまずまず応えてくれています。
『靖国』が編年体で書かれているように、この新書も坪内さんの精神的成長段階とシンクロして展開します。ですから、この本を坪内さん同様、高校時代くらいに手に取る若者たちは、この本に紹介されている新書をその年代で読んでいくことで著者の青春をなぞることができる仕掛けになっています。そういう意味では、この本は新書入門者には必携の本だと言えます。
実際、高校生や大学生であるならば、ゴウ先生、ここに紹介してある本を全部読んじゃえ!と檄を飛ばします。あまりに本を読まないノータリンが横行している現代ですから、こうした刺激を与えてくれる本は貴重です。
しかし、大人にとっては、話はそれほど簡単ではありません。もちろん、新書には時代の変化を突き抜ける力を持った古典と呼べるレベルのものもあることはあります。ですが、やはり新書という名前に込められた理念の代償として、その時代の風を味わっていないと到底真意はつかみ得ないものがあるのが事実なのです。
たとえば、第五章で取り上げられる「やがて来るニューアカ・ブームを前に」した本のほとんどは、いまやほとんどの大人の関心に上るものではないでしょう。
もちろん、紹介された本が悪い本だと言うつもりはありません。どの本もしっかり取り組めば、どんな人にも素晴らしい恩恵を与えること間違いなしの哲学書・思想書ばかりです。ゴウ先生が読んだ本、手に取った本もずいぶん紹介されています。でも、いまや懐かしいの一言で終わる可能性を多分に含んでいます。ゴウ先生自身、いまさら読む気はしないし、推薦する気も起きてきません。
それよりは、皮肉なことに、いまでは「旧書」とでも呼びたくなるような古典化した新書を紹介している第一章「自らの意志で新書本を読みはじめた頃」、第二章「新書がどんどんすきになっていった予備校時代」、第三章「新書で読んだ読書ガイドと読書法と書斎の話」で紹介してある本の方が、すべての人に対してはるかにいまでも読み応えがありそうな気がするのです。
特に第一章、第三章で紹介された渡辺昇一『知的生活の方法』は、ゴウ先生が母校上智大学に憧れを持つに至る最初のきっかけをくれた本ですから、著者の思いとかなりオーバーラップします(著者は、ゴウ先生よりも三歳年上です)。
この本ならびにその他の啓蒙的学習法や読書法に関する本は、いまでも十分に通用する内容が書かれています。最近よくINDECが使わせてもらっている「量読」という概念は、この本の中で紹介されている杉浦明平の読書法に触発された言葉ですから。
とにかく30年位前から20年位前に高校・大学を送った人たちには共感を覚え、いまの若者たちには自分の勉強・読書不足を思い知らさせる本です。
ゴウ先生ランキング:B
この本をきっかけにいっぱい新書を読んでもらいたいと願い推薦させてもらいます。量読ですぞ、量読!
そんなゴウ先生の孤独な作業を精神的に後押ししてくれる新潮新書がありました。それが今回の推薦図書です。
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著者の作品では、ゴウ先生、新潮文庫に収められた『靖国』を読んだことがあります。タイトルが示すとおり、靖国神社にまつわるアレコレが綿密な史料を元に編年的に(chronologically)再現されている本です。タイトルから、時節柄きな臭い内容を想像されるかもしれませんが、単純なサヨク・ウヨクの立場分けから論じられる本ではありません。研究者としての学術論文作法の正式な訓練を受けたことがおありであることが一目で分かる誠実な本です。
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そういう著者の本ですから、ゴウ先生、かなり期待しました。その期待にまずまず応えてくれています。
『靖国』が編年体で書かれているように、この新書も坪内さんの精神的成長段階とシンクロして展開します。ですから、この本を坪内さん同様、高校時代くらいに手に取る若者たちは、この本に紹介されている新書をその年代で読んでいくことで著者の青春をなぞることができる仕掛けになっています。そういう意味では、この本は新書入門者には必携の本だと言えます。
実際、高校生や大学生であるならば、ゴウ先生、ここに紹介してある本を全部読んじゃえ!と檄を飛ばします。あまりに本を読まないノータリンが横行している現代ですから、こうした刺激を与えてくれる本は貴重です。
しかし、大人にとっては、話はそれほど簡単ではありません。もちろん、新書には時代の変化を突き抜ける力を持った古典と呼べるレベルのものもあることはあります。ですが、やはり新書という名前に込められた理念の代償として、その時代の風を味わっていないと到底真意はつかみ得ないものがあるのが事実なのです。
たとえば、第五章で取り上げられる「やがて来るニューアカ・ブームを前に」した本のほとんどは、いまやほとんどの大人の関心に上るものではないでしょう。
もちろん、紹介された本が悪い本だと言うつもりはありません。どの本もしっかり取り組めば、どんな人にも素晴らしい恩恵を与えること間違いなしの哲学書・思想書ばかりです。ゴウ先生が読んだ本、手に取った本もずいぶん紹介されています。でも、いまや懐かしいの一言で終わる可能性を多分に含んでいます。ゴウ先生自身、いまさら読む気はしないし、推薦する気も起きてきません。
それよりは、皮肉なことに、いまでは「旧書」とでも呼びたくなるような古典化した新書を紹介している第一章「自らの意志で新書本を読みはじめた頃」、第二章「新書がどんどんすきになっていった予備校時代」、第三章「新書で読んだ読書ガイドと読書法と書斎の話」で紹介してある本の方が、すべての人に対してはるかにいまでも読み応えがありそうな気がするのです。
特に第一章、第三章で紹介された渡辺昇一『知的生活の方法』は、ゴウ先生が母校上智大学に憧れを持つに至る最初のきっかけをくれた本ですから、著者の思いとかなりオーバーラップします(著者は、ゴウ先生よりも三歳年上です)。
この本ならびにその他の啓蒙的学習法や読書法に関する本は、いまでも十分に通用する内容が書かれています。最近よくINDECが使わせてもらっている「量読」という概念は、この本の中で紹介されている杉浦明平の読書法に触発された言葉ですから。
とにかく30年位前から20年位前に高校・大学を送った人たちには共感を覚え、いまの若者たちには自分の勉強・読書不足を思い知らさせる本です。
ゴウ先生ランキング:B
この本をきっかけにいっぱい新書を読んでもらいたいと願い推薦させてもらいます。量読ですぞ、量読!
そのつけがきていますが、先生が紹介してくださった本を
どんどん読んでいきます。
どんどん本を読んで知識量を増やしていきたいと思います。勉強致します。