いくら天才ランナーと呼ばれても、マラソンをなめてはいけません。
**********
母「もう止めて」福士、転倒4度ふらふらゴール(サンケイスポーツ) - goo ニュース
2008年1月28日(月)07:01
2008大阪国際女子マラソン(27日、長居陸上競技場発着)雪の浪速路で、魂の激走だ! 初マラソンに挑戦したハーフ日本記録保持者で“トラックの女王”福士加代子(25)=ワコール=は序盤からハイペースで独走したが、30キロを過ぎて急失速。最後は4度も転倒したが、レースを捨てずに19位でフィニッシュした。マーラ・ヤマウチ(34)=英国=が2時間25分10秒で優勝、森本友(24)=天満屋=は24秒差で日本人最高の2位に入った。
タイムも、順位も頭になかった。“トラックの女王”福士が、本能だけで歩みを進める。
残り2キロ。並走する永山忠幸監督(48)が「もうやめてもいいよ」-。だが、福士は「ゴールまで行かせてください」。残り600メートルを切った競技場外周路で前のめりに転倒。立ち上がったが、歩くよりも遅い足取りで迷走する。沿道で応援していたファン、子供が「頑張れ!」。福士と歩調を合わせ、声をからした。トラックに入ってからも残り300メートルと170メートル、ゴール直前に転び、場内に悲鳴が上がった。
2万人が集まったスタンドから拍手と励ましが響く。青森・板柳町から駆けつけた母・ちぎ子さん(57)は、福士の苦しげな姿が大型スクリーンに映し出されると、涙が止まらない。転ぶ場面で「もう止めて下さい!」とスタンドから叫んだほど、切ない場面が続く。
あと約5メートル。数歩で届くゴールを前に、また崩れ落ちたが、計4度転倒しながらも、レースを捨てることはしなかった。2時間40分54秒。19位…。84年ロサンゼルス五輪のガブリエラ・アンデルセン(スイス)の悲痛なゴールを思いださせる命がけの完走だった。懸命にゴールした娘に、父・正幸さん(58)は「よく頑張った。見てるのがつらかった…」。
序盤は1万メートルの自己記録ペースと比べれば15秒ほど余裕のある1キロ3分20秒前後で独走。25キロ付近までは快調だった。だが、大阪城公園内の起伏で消耗し、30キロを前にペースダウン。「大阪城公園の下り坂で、急に目の前が真っ暗になった」。一時は600メートル以上もの差をつけていた後続がみるみる迫る。34.63キロ地点でマーラ・ヤマウチにかわされ、日本勢にも抜かれた。
ゴール後、すりむいたひざの治療のため、医務室へ向かった福士は、競技場を去ったあとにコメントを発表した。「競技場が見えてからは頭の中が真っ白になり、記憶がない。結果を受け止め、次の目標に向かって頑張りたい」。
昨春、長距離王国のエチオピアで合宿。代表以外の選手層の厚さに驚き、トラックで五輪のメダルを狙う限界を悟って挑んだマラソン。マラソン練習では「定番」といわれる40キロ走を1度もやらず、30キロ以上を続けて走ったのも1度だけ。給水のボトルには、ハイビスカスの造花が付けられ、レース前には「心の中は、水着でハワイで泳いでいる気分で走りたい」と、とびきり明るく振る舞っていたスピードランナーも、“未体験ゾーン”に飲み込まれた。
北京切符は従来の5000、1万メートルで挑む意向を示した永山監督は「五輪の年に神様が試練を与えてくれた。踏まれて、立て直したい」。昨年、1万メートルで北京五輪の参加標準記録Bをクリアしており、6月の日本選手権で優勝すれば北京切符は手に入る。
終わりではなく、これが始まり。完走した熱いハートで、力強く再起する。
**********
どう見ても、コーチも選手も考え違い。40km走は一度もなしで、30kmが一度だけの練習で、大阪国際マラソンに勝てると思うのは素人未満。
福士選手は魅力的な選手ですが、これは無謀な戦略。とても褒められません。期待していたファンを裏切るものです。残念でした。
**********
母「もう止めて」福士、転倒4度ふらふらゴール(サンケイスポーツ) - goo ニュース
2008年1月28日(月)07:01
2008大阪国際女子マラソン(27日、長居陸上競技場発着)雪の浪速路で、魂の激走だ! 初マラソンに挑戦したハーフ日本記録保持者で“トラックの女王”福士加代子(25)=ワコール=は序盤からハイペースで独走したが、30キロを過ぎて急失速。最後は4度も転倒したが、レースを捨てずに19位でフィニッシュした。マーラ・ヤマウチ(34)=英国=が2時間25分10秒で優勝、森本友(24)=天満屋=は24秒差で日本人最高の2位に入った。
タイムも、順位も頭になかった。“トラックの女王”福士が、本能だけで歩みを進める。
残り2キロ。並走する永山忠幸監督(48)が「もうやめてもいいよ」-。だが、福士は「ゴールまで行かせてください」。残り600メートルを切った競技場外周路で前のめりに転倒。立ち上がったが、歩くよりも遅い足取りで迷走する。沿道で応援していたファン、子供が「頑張れ!」。福士と歩調を合わせ、声をからした。トラックに入ってからも残り300メートルと170メートル、ゴール直前に転び、場内に悲鳴が上がった。
2万人が集まったスタンドから拍手と励ましが響く。青森・板柳町から駆けつけた母・ちぎ子さん(57)は、福士の苦しげな姿が大型スクリーンに映し出されると、涙が止まらない。転ぶ場面で「もう止めて下さい!」とスタンドから叫んだほど、切ない場面が続く。
あと約5メートル。数歩で届くゴールを前に、また崩れ落ちたが、計4度転倒しながらも、レースを捨てることはしなかった。2時間40分54秒。19位…。84年ロサンゼルス五輪のガブリエラ・アンデルセン(スイス)の悲痛なゴールを思いださせる命がけの完走だった。懸命にゴールした娘に、父・正幸さん(58)は「よく頑張った。見てるのがつらかった…」。
序盤は1万メートルの自己記録ペースと比べれば15秒ほど余裕のある1キロ3分20秒前後で独走。25キロ付近までは快調だった。だが、大阪城公園内の起伏で消耗し、30キロを前にペースダウン。「大阪城公園の下り坂で、急に目の前が真っ暗になった」。一時は600メートル以上もの差をつけていた後続がみるみる迫る。34.63キロ地点でマーラ・ヤマウチにかわされ、日本勢にも抜かれた。
ゴール後、すりむいたひざの治療のため、医務室へ向かった福士は、競技場を去ったあとにコメントを発表した。「競技場が見えてからは頭の中が真っ白になり、記憶がない。結果を受け止め、次の目標に向かって頑張りたい」。
昨春、長距離王国のエチオピアで合宿。代表以外の選手層の厚さに驚き、トラックで五輪のメダルを狙う限界を悟って挑んだマラソン。マラソン練習では「定番」といわれる40キロ走を1度もやらず、30キロ以上を続けて走ったのも1度だけ。給水のボトルには、ハイビスカスの造花が付けられ、レース前には「心の中は、水着でハワイで泳いでいる気分で走りたい」と、とびきり明るく振る舞っていたスピードランナーも、“未体験ゾーン”に飲み込まれた。
北京切符は従来の5000、1万メートルで挑む意向を示した永山監督は「五輪の年に神様が試練を与えてくれた。踏まれて、立て直したい」。昨年、1万メートルで北京五輪の参加標準記録Bをクリアしており、6月の日本選手権で優勝すれば北京切符は手に入る。
終わりではなく、これが始まり。完走した熱いハートで、力強く再起する。
**********
どう見ても、コーチも選手も考え違い。40km走は一度もなしで、30kmが一度だけの練習で、大阪国際マラソンに勝てると思うのは素人未満。
福士選手は魅力的な選手ですが、これは無謀な戦略。とても褒められません。期待していたファンを裏切るものです。残念でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます