日々メディア・リテラシー向上運動に勤しむINDECであります。
この運動をINDECが展開する主な理由は――すでにいくつかの場所で書いておりますが――アメリカのビジネス・スクールなどの大学院に留学支援する英語塾として、TOEFLのTWEやGMATのAWAなどの英文ライティングに対応できる論理思考能力を会員すべてに身につけてもらうことにあります。
「日本語の新聞を読むことで論理思考能力がつくのですか?」と考える方がいらっしゃるかもしれません。
ゴウ先生の答はこうです。日本語でできないことが、英語で出来るわけがありません。ですから、英字新聞や英字雑誌が自由に読めるほどの英語力がない段階では、日本の新聞・雑誌などを読むことで論理思考能力を高めていくべきなのです。
「でも、ゴウ先生のブログを読んでいると、日本の新聞はどれも信用できない気がするのですが、それでも読まなければならないのですか?」
自分で読んで信用できないと断言できる方は、相当なメディア・リテラシーをお持ちの方です。そのような方はご自身の判断でマスメディアとお付き合いいただければと思います。
そして、そういう優秀な方には、信用できないようなことを書いているマスコミのあり方に対して、一言二言発言していただきたいと思います。ビジネス・スクールへの留学を考えている方であるならばなおのこと、そのようなことがやれないと受かることすらできないのですから。(「知恵と勇気でもの申す」をご参照ください。)
ですから、記事の裏側を見通せるようになるほど論理構造を検証できる力を持てるようになれば、海外留学に堪える論理思考能力ができたことを意味します。もちろん、完全にマスコミの意図を見抜けるようになるためには、歴史や文化といったものも平行して学んでいかなければなりませんが。
「理屈では分かりますが、どうしても日本の大新聞などを読むと、頭からそこに描かれていることが正しいことだと思い込んでしまうんです。第一、ゴウ先生がおっしゃるように、朝日がそんなに変だとも思えないんです。これって異常でしょうか?」
そんなことはありません。そういう風に思えるほど、朝日などの大新聞は大きな影響力を持っているという証です。
正直、何かの殺人事件であなたがマスコミに被疑者扱いを受けたならば、たとえ冤罪であることが証明されてもまずもってあなたの人生はほとんど終わってしまいます。松本サリン事件の誤報を思い出してください。
ですから、国家権力も怖いですが、報道機関のもつ権力も怖いのです。それらをチェックする能力を持つことは、現代ビジネスにおけるリスク管理にもつながる重要なことだと考えてください。
この意味で、マスコミは文字通り人の生き死にを左右すると言っても過言ではないのです。そのことを実感するのに、この本ほどふさわしい本はありません。
ゴウ先生がこの本を最初に手に取ったのは、単なる興味からでした。帯に書いてあるように、普段それほど気にも留めないけれども、死亡記事には「人間のドラマがあ」りそうだし、「眼光紙背に徹すれば、その一字一句が奥深い」かもしれなさそうではないですか。
でも、読み始めたら、この本、メディア・リテラシー向上運動の教科書でした!いい意味でも、悪い意味でも。
いい意味とは、もちろん、朝日・毎日・読売の死亡記事を比較することで、各社の立場・記事作法などが分かるということです。
いま時いないと思っていたらあまりにたくさんいる、すべての新聞が同じ記事を載せていると信じている若者たち(こういう諸君をINDECではバカモノと読んでいるのでありますが)。こういうバカモノたちのためには、死亡記事一つでそれぞれの新聞が違ったスタンスを持っていることを知ってくれれば、嬉しい限りです。
しかし、同時にゴウ先生この本をめくっていると、切なくなってきました。
死亡記事があるということは、死んだ後にその人の価値を新聞社ごときに決められてしまうという事実があるということでもあるのです。ゴウ先生なんか、絶対朝日は載せてくれません。読売もダメでしょう。産経もやっぱりだめでしょうね・・・。
日々国民・庶民の味方と言っている新聞が、やはり発行部数を伸ばす可能性のある有名人・イベント志向であるという現実を見せてくれます。(それも国民・庶民が好きだからなのでしょうが。)
ある意味、新聞の死亡記事は、故人の価値を判断する「カミ」(神?紙?守?)なのです。余計なお世話だ!と叫んでも有名になれば、通らざるを得ない道かもしれません。こんなところで有名になっても、と思いはしますが、無視されるのも寂しいところでもあるはずです。
正直、コワイですね、マスメディアは。そしてこういうことを考え出したらば、メディア・リテラシーはぐんぐん向上します。もちろん論理思考能力も。
ゴウ先生ランキング:B+
こういう本の性格上、取り上げられた故人がどうしても若い人にはなじみがない人が多く、1936年生まれの著者ほどの感慨を抱けない恨みが残ります。ゴウ先生でも、「だれ、この人?」と思うことが再三でしたから。もう少し「ああ、あの人」と思えるような人の死亡記事を集めて欲しかったと思います。できないこともない気がするのですが・・・。
しかし、死して名を残すということに夢はせる方には、その現実をこの本でとくとご覧になり、今日の新聞から死亡記事を探してみてはいかがでしょう。この本を読んだ後なら、不謹慎ですが、死亡記事が面白くなること請け合いです。ぜひどうぞ。
この運動をINDECが展開する主な理由は――すでにいくつかの場所で書いておりますが――アメリカのビジネス・スクールなどの大学院に留学支援する英語塾として、TOEFLのTWEやGMATのAWAなどの英文ライティングに対応できる論理思考能力を会員すべてに身につけてもらうことにあります。
「日本語の新聞を読むことで論理思考能力がつくのですか?」と考える方がいらっしゃるかもしれません。
ゴウ先生の答はこうです。日本語でできないことが、英語で出来るわけがありません。ですから、英字新聞や英字雑誌が自由に読めるほどの英語力がない段階では、日本の新聞・雑誌などを読むことで論理思考能力を高めていくべきなのです。
「でも、ゴウ先生のブログを読んでいると、日本の新聞はどれも信用できない気がするのですが、それでも読まなければならないのですか?」
自分で読んで信用できないと断言できる方は、相当なメディア・リテラシーをお持ちの方です。そのような方はご自身の判断でマスメディアとお付き合いいただければと思います。
そして、そういう優秀な方には、信用できないようなことを書いているマスコミのあり方に対して、一言二言発言していただきたいと思います。ビジネス・スクールへの留学を考えている方であるならばなおのこと、そのようなことがやれないと受かることすらできないのですから。(「知恵と勇気でもの申す」をご参照ください。)
ですから、記事の裏側を見通せるようになるほど論理構造を検証できる力を持てるようになれば、海外留学に堪える論理思考能力ができたことを意味します。もちろん、完全にマスコミの意図を見抜けるようになるためには、歴史や文化といったものも平行して学んでいかなければなりませんが。
「理屈では分かりますが、どうしても日本の大新聞などを読むと、頭からそこに描かれていることが正しいことだと思い込んでしまうんです。第一、ゴウ先生がおっしゃるように、朝日がそんなに変だとも思えないんです。これって異常でしょうか?」
そんなことはありません。そういう風に思えるほど、朝日などの大新聞は大きな影響力を持っているという証です。
正直、何かの殺人事件であなたがマスコミに被疑者扱いを受けたならば、たとえ冤罪であることが証明されてもまずもってあなたの人生はほとんど終わってしまいます。松本サリン事件の誤報を思い出してください。
ですから、国家権力も怖いですが、報道機関のもつ権力も怖いのです。それらをチェックする能力を持つことは、現代ビジネスにおけるリスク管理にもつながる重要なことだと考えてください。
この意味で、マスコミは文字通り人の生き死にを左右すると言っても過言ではないのです。そのことを実感するのに、この本ほどふさわしい本はありません。
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ゴウ先生がこの本を最初に手に取ったのは、単なる興味からでした。帯に書いてあるように、普段それほど気にも留めないけれども、死亡記事には「人間のドラマがあ」りそうだし、「眼光紙背に徹すれば、その一字一句が奥深い」かもしれなさそうではないですか。
でも、読み始めたら、この本、メディア・リテラシー向上運動の教科書でした!いい意味でも、悪い意味でも。
いい意味とは、もちろん、朝日・毎日・読売の死亡記事を比較することで、各社の立場・記事作法などが分かるということです。
いま時いないと思っていたらあまりにたくさんいる、すべての新聞が同じ記事を載せていると信じている若者たち(こういう諸君をINDECではバカモノと読んでいるのでありますが)。こういうバカモノたちのためには、死亡記事一つでそれぞれの新聞が違ったスタンスを持っていることを知ってくれれば、嬉しい限りです。
しかし、同時にゴウ先生この本をめくっていると、切なくなってきました。
死亡記事があるということは、死んだ後にその人の価値を新聞社ごときに決められてしまうという事実があるということでもあるのです。ゴウ先生なんか、絶対朝日は載せてくれません。読売もダメでしょう。産経もやっぱりだめでしょうね・・・。
日々国民・庶民の味方と言っている新聞が、やはり発行部数を伸ばす可能性のある有名人・イベント志向であるという現実を見せてくれます。(それも国民・庶民が好きだからなのでしょうが。)
ある意味、新聞の死亡記事は、故人の価値を判断する「カミ」(神?紙?守?)なのです。余計なお世話だ!と叫んでも有名になれば、通らざるを得ない道かもしれません。こんなところで有名になっても、と思いはしますが、無視されるのも寂しいところでもあるはずです。
正直、コワイですね、マスメディアは。そしてこういうことを考え出したらば、メディア・リテラシーはぐんぐん向上します。もちろん論理思考能力も。
ゴウ先生ランキング:B+
こういう本の性格上、取り上げられた故人がどうしても若い人にはなじみがない人が多く、1936年生まれの著者ほどの感慨を抱けない恨みが残ります。ゴウ先生でも、「だれ、この人?」と思うことが再三でしたから。もう少し「ああ、あの人」と思えるような人の死亡記事を集めて欲しかったと思います。できないこともない気がするのですが・・・。
しかし、死して名を残すということに夢はせる方には、その現実をこの本でとくとご覧になり、今日の新聞から死亡記事を探してみてはいかがでしょう。この本を読んだ後なら、不謹慎ですが、死亡記事が面白くなること請け合いです。ぜひどうぞ。
思いもよりませんでした。読みます。