『鉄道員(ぽっぽや)』と『ホタル』。最近の健さんの主演作の共通点をご存知でしょうか。
慣れ親しんだスタッフを大切にする健さん、共通点はたくさんあります。たとえば、監督と撮影監督は全部同じ、降旗康男と木村大作です。『単騎、千里を走る』の場合にすら日本での撮影には彼ら「高倉組」がつきました。
しかし、ゴウ先生には少し困ったことだと思う共通点があるのです。それは、製作サイドに朝日新聞社とテレビ朝日が絡んでいるということです。
どうしてこのような偏った政治的メッセージを込めたシーンを盛り込んだ映画を撮るのだろうと、『鉄道員』や『ホタル』を見た時には思ったものです。
「健さんを政治の道具に使わないでくれ!」と叫びたくなるわけです。
健さんが朝日と組む理由が分かりません。
今回の『単騎、千里を走る』にしても、中国映画への出演に朝日が絡んでいるようなので(どこまで製作に朝日が関与しているか知りませんが)、実は嫌な予感がしているのも事実です。また、健さんが利用されるとしたら・・・。
ともかく、本作が映画を愛してやまない健さんの最後になるかもしれません。その作品に対する素直な敬意を朝日には求めたいのです。
しかし、今日アサヒ・コムに掲載された記事を読んで、ゴウ先生、やっぱり失望しました。昨日紹介した日刊スポーツの記事がもつ温かさとは対極の冷たい論調の記事だったからです。
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高倉健 単騎、中国へ チャン・イーモウ新作に主演
2006年01月11日16時51分
チャン・イーモウ監督(55)が30年来あこがれ続けた高倉健(74)。その2人が取り組んだ「単騎、千里を走る。」が28日、全国で公開される。「三国志」の中でも、ひときわ感動的な1章の名を冠した作品に主演する高倉は、中国側の様々な心遣いに何度も涙したという。ともに「人同士の心の交流の大切さを伝えたい」という2人に聞いた。
●「監督の勇気に打たれた」
「三国志」で、宿敵・曹操に捕らわれた関羽は、誠を貫き、命を賭して義兄弟の劉備のもとに戻る。その逸話になぞらえた物語だ。
高倉演じる男「高田」は、重い病に伏す民俗学者の息子に代わり、中国・雲南省に単身で旅する。現地の仮面劇を撮影するためだ。言葉は分からず、奥地の旅が体にこたえる。劇を踊れる舞踊家は1人。彼を探す困難があり、また、舞踊家が生き別れた息子に、父との再会を説くことにもなる。
「中国人の心のふるさとといえる『三国志』からとったタイトルの映画に、日本人の自分を主演に選んだ監督の勇気に打たれた」と高倉は言う。
●中国住民と繊細交流
撮影中、見物客から盛んに声がかかったという。76年の主演作「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」は文化大革命直後の中国でも広く愛された。その役名・杜丘(もりおか)の中国読みで、「トーチュウ! トーチュウ!」と。
「撮影終了後、若い女性助監督がくれた克明な撮影日誌を見るたびに、今も涙が出る。撮影全体が絆(きずな)を結ぶものだった」
「映画は外交と違い、人々の心にまでメッセージが届く力がある。戦争をしないと決めたのに、話し合って解決するか戦争かなどと、人間は、まだそんなことを言っている。言葉や文化、国境を超えた心の交流の必要性が改めて伝わればいい」
一方のチャン監督が、高倉主演の映画を撮ろうと決めたのは00年。その10年前、2人は大映の故・徳間康快社長の仲立ちで出会っていた。高倉が、チャン監督の「初恋のきた道」(99年)を称賛し、感激したチャン監督が製作への思いを強めた。「十数人に20稿に及ぶ脚本を書かせた末に生まれた作品」という。
「繊細な心の交流の真実をドキュメンタリーとして描きたかった。健さんには実名で登場してもらいたかったほど」。出演者の大半は地元に暮らす人々で、彼らと高倉のやりとりは、まさにドキュメンタリーといえる。
「一滴の水の恩を泉で報いるような健さんに、関羽の誠や義侠心(ぎきょうしん)に近いものを感じた。人の心の真実に向き合う作品を今後も作り続けたい」と話した。
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淡々と事実を述べているつもりなのかもしれません。しかし、この記事を書いた記者、本気でこの映画の成功を望んでいるのでしょうか。必死に作ってきた監督や健さんの気持ちに、熱い筆致で書くことで応えるべきなのではないでしょうか。ゴウ先生には、この温度感の低さには、ガッカリしてしまいます。
上のようなモンキリ調のやり取りしかできなかったとしたら、インタビュアー失格です。健さんはもっと語ってくれたと思います。その真意をしっかりと伝えるべきです。
そして上の写真につけられたキャプションがこれ。
「高地での撮影は、乾燥と紫外線で目を痛めた」と振り返る高倉健
事実そうなのでしょう。けれども、73歳の大スターが見知らぬ土地でがんばったのです。この笑顔に見合ったキャプションが欲しいではありませんか。悲しくなります。
ゴウ先生が健さんファンだから、偏った見方をしているとは思いません。あらゆる読者にこの映画の本質がストレートに伝わる熱い記事がほしかったと言っているのです。続報には、熱い記事を期待したいものです。
慣れ親しんだスタッフを大切にする健さん、共通点はたくさんあります。たとえば、監督と撮影監督は全部同じ、降旗康男と木村大作です。『単騎、千里を走る』の場合にすら日本での撮影には彼ら「高倉組」がつきました。
しかし、ゴウ先生には少し困ったことだと思う共通点があるのです。それは、製作サイドに朝日新聞社とテレビ朝日が絡んでいるということです。
どうしてこのような偏った政治的メッセージを込めたシーンを盛り込んだ映画を撮るのだろうと、『鉄道員』や『ホタル』を見た時には思ったものです。
「健さんを政治の道具に使わないでくれ!」と叫びたくなるわけです。
健さんが朝日と組む理由が分かりません。
今回の『単騎、千里を走る』にしても、中国映画への出演に朝日が絡んでいるようなので(どこまで製作に朝日が関与しているか知りませんが)、実は嫌な予感がしているのも事実です。また、健さんが利用されるとしたら・・・。
ともかく、本作が映画を愛してやまない健さんの最後になるかもしれません。その作品に対する素直な敬意を朝日には求めたいのです。
しかし、今日アサヒ・コムに掲載された記事を読んで、ゴウ先生、やっぱり失望しました。昨日紹介した日刊スポーツの記事がもつ温かさとは対極の冷たい論調の記事だったからです。
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高倉健 単騎、中国へ チャン・イーモウ新作に主演
2006年01月11日16時51分
チャン・イーモウ監督(55)が30年来あこがれ続けた高倉健(74)。その2人が取り組んだ「単騎、千里を走る。」が28日、全国で公開される。「三国志」の中でも、ひときわ感動的な1章の名を冠した作品に主演する高倉は、中国側の様々な心遣いに何度も涙したという。ともに「人同士の心の交流の大切さを伝えたい」という2人に聞いた。
●「監督の勇気に打たれた」
「三国志」で、宿敵・曹操に捕らわれた関羽は、誠を貫き、命を賭して義兄弟の劉備のもとに戻る。その逸話になぞらえた物語だ。
高倉演じる男「高田」は、重い病に伏す民俗学者の息子に代わり、中国・雲南省に単身で旅する。現地の仮面劇を撮影するためだ。言葉は分からず、奥地の旅が体にこたえる。劇を踊れる舞踊家は1人。彼を探す困難があり、また、舞踊家が生き別れた息子に、父との再会を説くことにもなる。
「中国人の心のふるさとといえる『三国志』からとったタイトルの映画に、日本人の自分を主演に選んだ監督の勇気に打たれた」と高倉は言う。
●中国住民と繊細交流
撮影中、見物客から盛んに声がかかったという。76年の主演作「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」は文化大革命直後の中国でも広く愛された。その役名・杜丘(もりおか)の中国読みで、「トーチュウ! トーチュウ!」と。
「撮影終了後、若い女性助監督がくれた克明な撮影日誌を見るたびに、今も涙が出る。撮影全体が絆(きずな)を結ぶものだった」
「映画は外交と違い、人々の心にまでメッセージが届く力がある。戦争をしないと決めたのに、話し合って解決するか戦争かなどと、人間は、まだそんなことを言っている。言葉や文化、国境を超えた心の交流の必要性が改めて伝わればいい」
一方のチャン監督が、高倉主演の映画を撮ろうと決めたのは00年。その10年前、2人は大映の故・徳間康快社長の仲立ちで出会っていた。高倉が、チャン監督の「初恋のきた道」(99年)を称賛し、感激したチャン監督が製作への思いを強めた。「十数人に20稿に及ぶ脚本を書かせた末に生まれた作品」という。
「繊細な心の交流の真実をドキュメンタリーとして描きたかった。健さんには実名で登場してもらいたかったほど」。出演者の大半は地元に暮らす人々で、彼らと高倉のやりとりは、まさにドキュメンタリーといえる。
「一滴の水の恩を泉で報いるような健さんに、関羽の誠や義侠心(ぎきょうしん)に近いものを感じた。人の心の真実に向き合う作品を今後も作り続けたい」と話した。
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淡々と事実を述べているつもりなのかもしれません。しかし、この記事を書いた記者、本気でこの映画の成功を望んでいるのでしょうか。必死に作ってきた監督や健さんの気持ちに、熱い筆致で書くことで応えるべきなのではないでしょうか。ゴウ先生には、この温度感の低さには、ガッカリしてしまいます。
上のようなモンキリ調のやり取りしかできなかったとしたら、インタビュアー失格です。健さんはもっと語ってくれたと思います。その真意をしっかりと伝えるべきです。
そして上の写真につけられたキャプションがこれ。
「高地での撮影は、乾燥と紫外線で目を痛めた」と振り返る高倉健
事実そうなのでしょう。けれども、73歳の大スターが見知らぬ土地でがんばったのです。この笑顔に見合ったキャプションが欲しいではありませんか。悲しくなります。
ゴウ先生が健さんファンだから、偏った見方をしているとは思いません。あらゆる読者にこの映画の本質がストレートに伝わる熱い記事がほしかったと言っているのです。続報には、熱い記事を期待したいものです。
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