いまの北朝鮮を見ていると、怒るよりも哀れに思います。自分たちではアメリカ・日本を相手に互角に立ち回っていると思い込んでいるかもしれませんが、それがまったくの幻想であり、それを北朝鮮だけが知らないもしくは知ろうとしていないのですから。
今回のミサイル発射にしても、アメリカは早い段階から対策を取ってきた結果、結局は何の被害も出さずに、北朝鮮の愚挙だけが明らかになりました。
事実ミサイルを7発も発射したおかげで、北朝鮮は貴重な石油と膨大な軍事費を浪費したことになります。その見返りとして、あの程度の「展示即売会」でお粗末なミサイルの買い手が現れるのかどうか、疑問です。
悲しすぎる裸の王様状態の北朝鮮です。
同じような国が60数年前にありました。日本です。すべてをアメリカに捕捉されながらも、戦い敗れ去りました。悲しいですが、それが事実です。
今回アメリカの公文書館の資料から、あの戦艦大和の最後の出撃が、アメリカの偵察機によって、その5時間前には分かってしまっていたという資料が見つかったのです。
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大和の特攻を米軍が徳山沖で捕捉 (中国新聞) - goo ニュース
2006年 7月 4日 (火)
不沈戦艦と呼ばれながら、東シナ海に沈んだ旧海軍の戦艦「大和」は沖縄特攻の五時間前、徳山(現周南市)沖で米軍のB29偵察機が上空から撮影していた。呉市の大和ミュージアムなどが、米国立公文書館から発見した写真で分かった。沖縄へ出撃する前から、大和など第二艦隊の行動が「米軍に捕捉されていた事実を裏付ける初めての資料」と専門家らも驚いている。(吉村明)
写真は六月下旬、同ミュージアムと「呉戦災を記録する会」、「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議・米軍資料研究会」が米国立公文書館へ調査員を派遣し、共同作業で膨大な資料の中から見つけ出した。
写真は一九四五年四月六日午前十時ごろ、徳山沖約三十キロ地点(北緯三三度五七分、東経一三一度四五分)の約九千三百メートル上空から撮影したとあり、添えられた報告文書にははっきりと「大和」級の戦艦などを発見したと記されている。
第二艦隊の大和を中心に、右下に巡洋艦「矢(や)矧(はぎ)」、取り囲むように五隻の駆逐艦も鮮明に確認できる。大和には小型タンカーが横付けされ、攻撃時の火災を防ぐためガソリンなどの揮発油や可燃物を撤去する作業が写っている。
また、一九四四年十月のレイテ沖海戦後に、艦尾部や左右の甲板上などに増設された三連装機銃十二基なども確認でき、出撃直前の装備が分かる貴重な資料という。
ミュージアムによると、撮影された直後に第二艦隊所属の各艦艦長は大和に集まり、作戦の最後の打ち合わせを実施。同日午後三時二十分、沖縄に向けて出撃した。
戸高一成館長(58)は「年内に常設展示するほか、新たな写真の発掘にも尽力したい」と話している。
実態解明の一級資料
日本の近現代史に詳しい広島大文書館の小池聖一館長の話 米軍に制空権を完全に握られ、戦艦「大和」は丸裸の特攻だったことが分かる。艦隊の編成や装備など大和出撃の実態が解明でき、貴重な情報が詰まった写真だ。資料として第一級の価値がある。
戦艦「大和」 全長263メートル、最大幅38・9メートル、最大速力27ノット。射距離42キロの46センチ3連装主砲塔3基を装備。基準排水量6万5000トンで世界最大の戦艦。1937年に旧呉海軍工廠(しょう)で起工、41年に完成。45年4月、米軍の沖縄上陸で、6日に徳山沖から出撃。翌7日に米軍の爆弾5発、魚雷8本以上の攻撃を受け、鹿児島県坊ノ岬沖90カイリの東シナ海で3056人の乗組員とともに沈没した。
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アメリカ軍の情報収集能力には恐れ入ります。これだけの情報を持っていたからこそ、大和が出撃したらばすぐに攻撃態勢に入れ、ほんの数時間で沈没させることができたのでありましょう。
とはいえ、あくまで特攻という形にこだわった日本軍は、たとえ米軍にすべてを察知されていたとしても、出撃したのかもしれません。日本人として胸塞ぐ思いにかられる事実です。
ひるがえって、北朝鮮。
大東亜戦争を始めた時の日本は、いまの北朝鮮とは比べられないほど豊かな国でした。アメリカには負けるものの他の国とは遜色ない軍備力を誇っていたのです。(だからこそ、目の敵にされてしまったということがいえるでしょう。)それでも、アメリカに叩きのめされました。なぜならば、近代戦争の特色である情報収集能力と消耗戦に耐えうる物資補給能力に大きな開きがあったからです。
そのことを北朝鮮のトップたちは学んでいるのかどうか。学んでいたならば、この瀬戸際外交が通用するのかしないのか、分かるはずなのです。北朝鮮首脳部の勉強不足を嘆くゴウ先生でありました。
今回のミサイル発射にしても、アメリカは早い段階から対策を取ってきた結果、結局は何の被害も出さずに、北朝鮮の愚挙だけが明らかになりました。
事実ミサイルを7発も発射したおかげで、北朝鮮は貴重な石油と膨大な軍事費を浪費したことになります。その見返りとして、あの程度の「展示即売会」でお粗末なミサイルの買い手が現れるのかどうか、疑問です。
悲しすぎる裸の王様状態の北朝鮮です。
同じような国が60数年前にありました。日本です。すべてをアメリカに捕捉されながらも、戦い敗れ去りました。悲しいですが、それが事実です。
今回アメリカの公文書館の資料から、あの戦艦大和の最後の出撃が、アメリカの偵察機によって、その5時間前には分かってしまっていたという資料が見つかったのです。
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大和の特攻を米軍が徳山沖で捕捉 (中国新聞) - goo ニュース
2006年 7月 4日 (火)
不沈戦艦と呼ばれながら、東シナ海に沈んだ旧海軍の戦艦「大和」は沖縄特攻の五時間前、徳山(現周南市)沖で米軍のB29偵察機が上空から撮影していた。呉市の大和ミュージアムなどが、米国立公文書館から発見した写真で分かった。沖縄へ出撃する前から、大和など第二艦隊の行動が「米軍に捕捉されていた事実を裏付ける初めての資料」と専門家らも驚いている。(吉村明)
写真は六月下旬、同ミュージアムと「呉戦災を記録する会」、「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議・米軍資料研究会」が米国立公文書館へ調査員を派遣し、共同作業で膨大な資料の中から見つけ出した。
写真は一九四五年四月六日午前十時ごろ、徳山沖約三十キロ地点(北緯三三度五七分、東経一三一度四五分)の約九千三百メートル上空から撮影したとあり、添えられた報告文書にははっきりと「大和」級の戦艦などを発見したと記されている。
第二艦隊の大和を中心に、右下に巡洋艦「矢(や)矧(はぎ)」、取り囲むように五隻の駆逐艦も鮮明に確認できる。大和には小型タンカーが横付けされ、攻撃時の火災を防ぐためガソリンなどの揮発油や可燃物を撤去する作業が写っている。
また、一九四四年十月のレイテ沖海戦後に、艦尾部や左右の甲板上などに増設された三連装機銃十二基なども確認でき、出撃直前の装備が分かる貴重な資料という。
ミュージアムによると、撮影された直後に第二艦隊所属の各艦艦長は大和に集まり、作戦の最後の打ち合わせを実施。同日午後三時二十分、沖縄に向けて出撃した。
戸高一成館長(58)は「年内に常設展示するほか、新たな写真の発掘にも尽力したい」と話している。
実態解明の一級資料
日本の近現代史に詳しい広島大文書館の小池聖一館長の話 米軍に制空権を完全に握られ、戦艦「大和」は丸裸の特攻だったことが分かる。艦隊の編成や装備など大和出撃の実態が解明でき、貴重な情報が詰まった写真だ。資料として第一級の価値がある。
戦艦「大和」 全長263メートル、最大幅38・9メートル、最大速力27ノット。射距離42キロの46センチ3連装主砲塔3基を装備。基準排水量6万5000トンで世界最大の戦艦。1937年に旧呉海軍工廠(しょう)で起工、41年に完成。45年4月、米軍の沖縄上陸で、6日に徳山沖から出撃。翌7日に米軍の爆弾5発、魚雷8本以上の攻撃を受け、鹿児島県坊ノ岬沖90カイリの東シナ海で3056人の乗組員とともに沈没した。
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アメリカ軍の情報収集能力には恐れ入ります。これだけの情報を持っていたからこそ、大和が出撃したらばすぐに攻撃態勢に入れ、ほんの数時間で沈没させることができたのでありましょう。
とはいえ、あくまで特攻という形にこだわった日本軍は、たとえ米軍にすべてを察知されていたとしても、出撃したのかもしれません。日本人として胸塞ぐ思いにかられる事実です。
ひるがえって、北朝鮮。
大東亜戦争を始めた時の日本は、いまの北朝鮮とは比べられないほど豊かな国でした。アメリカには負けるものの他の国とは遜色ない軍備力を誇っていたのです。(だからこそ、目の敵にされてしまったということがいえるでしょう。)それでも、アメリカに叩きのめされました。なぜならば、近代戦争の特色である情報収集能力と消耗戦に耐えうる物資補給能力に大きな開きがあったからです。
そのことを北朝鮮のトップたちは学んでいるのかどうか。学んでいたならば、この瀬戸際外交が通用するのかしないのか、分かるはずなのです。北朝鮮首脳部の勉強不足を嘆くゴウ先生でありました。
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