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三船敏郎さん
旧陸軍時代の熊本 デビュ−前の演劇写真
毎日新聞2016年3月19日 14時30分(最終更新 3月19日 16時15分)
1945年7月1日、旧陸軍隈庄飛行場で撮影か
国際的映画俳優として活躍した三船敏郎さん(1997年に77歳で死去)の旧陸軍時代のものとみられる写真が見つかった。終戦直前に熊本市の旧陸軍隈庄(くまのしょう)飛行場で演劇をした際に撮影された可能性が高いことが、くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク(熊本県玉名市)などの調査で分かった。デビュー前の演劇の写真は他に例がないといい、三船さんの長男で三船プロダクションの三船史郎社長は「俳優としての父の原点になる写真」と話している。
写真には、舟形帽をかぶって右目に眼帯を付け、口元に細長いひげを描いた若き日の三船さんが写っている。同ネットワークによると、昨年10月に放送されたテレビ番組の取材で発見されたが、撮影日時や場所などが不明だった。三船さんは熊本で終戦を迎えていたため、同ネットワークが調査に協力することになった。
三船さんと同じ部隊に所属していた元隊員らから聞き取り調査した結果、写真は1945年7月1日に同飛行場であった部隊祭で演劇を披露した時に撮影された可能性が高いことが分かった。
当日は白いつなぎ姿の三船さんが指揮棒を振って楽団を指揮したとの証言はあるが、演劇については直接見たとする証言や資料がなく、演目や演じた役までは不明という。背景の建物は三船さんが所属した気象班が入る本部棟とみられる。
三船さんは46年の第1回東宝ニューフェースとして入社。カメラマン志望のはずが手違いで面接を受けることになり、俳優になる気はなかったとされる。
同ネットワークの高谷和生事務局長は「三船さんの演劇写真が見つかったのは映画ファンにとって非常に価値がある。三船さんが陸軍時代に隈庄飛行場にいたことを裏付ける資料にもなる」と話している。同ネットワークは、熊本市南区城南町の市立城南図書館で22日までパネル展「世界のミフネ、演劇写真の大発見」(無料)を開催している。【柿崎誠】
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何の役の扮装だかわかりませんが、アイパッチにカイゼルひげ。どう見ても悪役かコミカルな役のはずです。大東亜戦争末期に、特攻機も飛び立っていたはずの陸軍飛行場でこういう遊びができていたことに驚いてしまいます。
それにしても、三船敏郎、いい男です。このとき、1920年4月1日生まれの三船さんは、このとき、25歳。この人がいたおかげで、日本の映画はどれだけ進歩したかわかりません。
改めて、合掌。
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