平和之礎 昌栄町
撤去されたため写真はありません。
昌栄町の平和之礎は、関係者の話によると、町内の個人の所有地内に建立された後、同氏が町内に所有する別の場所に移されました。毎年、慰霊行事が続けられましたが、関係者の転居や死亡により、私的に管理することが困難になったため、平成になって撤去されたということです。
1953年4月7日、中日新聞は碑の建立を次のように伝えています。
”平和の礎”の石碑 四日市市昌栄町の遺族が建立
四日市市昌栄町の戦没遺族11名は平和の礎石となった人々の霊を永久に讃えるため、町内の一角に「平和の礎」の碑を建立、5日盛大な除幕式を行った。工費11万円を各遺族が出し合っており表面には日露戦争から太平洋戦争までの戦没者の戦死場所、年月が刻まれている。
また、同紙によると、沢田地区でも同様の「平和の礎」を鵜の森神社境内に建設予定であると報道されていますが、こちらの碑は確認することができませんでした。