いのりむし文庫

いのりむし斧舎 ⒸNakajima Hisae

陸軍椿秘匿飛行場 土製掩体跡  (水沢野田町)

2013-08-08 | よっかいち 人権の礎を訪ねて

藪の中の戦闘機

   陸軍椿秘匿飛行場 土製掩体跡  (水沢野田町)

 陸軍の椿秘匿飛行場は、1943年頃から鈴鹿市追分町から椿一宮に建設されました。
 
 十字型の滑走路の南端から伸びる誘導路は、およそ4km先にあった北伊勢陸軍飛行場(広瀬町)まで続いていました。周囲には掩体も多数つくられ、62基が確認されています。

 その掩体群の北端は市の境を越え、四日市市水沢野田町にまで及びました。
 
 2010年現在、水沢野田町の共同墓地奥の林の中に土製掩体が残されています。地元の人のお話によると、掩体には「赤トンボ」と呼ばれていた練習用の小さな飛行機が格納されていたそうです。

   ■参考『三重の戦争遺跡』増補改定版 
          三重県歴史教育者協議会 つむぎ出版 2006年


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2010年2月に訪れた時には、林の中は人が通れるように手入れされていました。

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共同墓地奥の林に入ると、手前右に防空壕であった穴が残っています。

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さらに左の方に進むと土製掩体であった盛土が確認できます。
 
(2011年4月 記)

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