夏目漱石を読むという虚栄
6000 『それから』から『道草』
6500 近道の『道草』
6530 「独(ひと)り怖(こわ)がった」
6531 「緋鯉」
「白紙のようなもの」(『道草』三十八)であるはずの健三の「記憶」は徐々にあぶりだされる。健三が誰かに語ることによって「記憶」がよみがえってくるのではない。不合理なことに、語り手の言葉によって語られる中年健三が思い出すのだ。この場合、語り手は健三自身だ。『道草』は第三人称だが、雰囲気は第一人称だ。蘇る「記憶」の内容は、健三の妄想のようだ。作者は、中年健三の妄想と想起や推定などを明確に区別することができないだけでなく、〈健三の回想〉と〈作者の創作〉の仕分けができないのだ。
<或日彼は誰も宅(うち)にいない時を見計って、不細工な布袋(ほてい)竹(ちく)の先へ(ママ)一枚(ママ)糸を着けて、餌(えさ)と共に池の中に投げ込んだら、すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。彼は水の底に引っ張り込まなければ已(や)まないその強い力が二の腕まで伝った時、彼は恐ろしくなって、すぐ竿(さお)を放り出した。そうして翌日(あくるひ)静かに水面に浮いている一尺余りの緋鯉を見出(みいだ)した。彼は独(ひと)り怖(こわ)がった。……
「自分はその時分誰と共に住んでいたのだろう」
(夏目漱石『道草』三十八)>
「誰も宅(うち)にいない時」は、「その広い宅(うち)には人が誰も住んでいなかった」(『道草』三十八)という語りと矛盾する。作者は混乱している。「見計らって」いたのは「誰」かの意に反することがわかっているからだが、そのあたりのことが朦朧としている。「布袋(ほてい)竹(ちく)」は「観賞用」(『広辞苑』「布袋竹」)だから、健三がこれを勝手に切り取ったとすれば、悪戯はこの前から始まっていたことになる。悪戯の動機は不明。少年健三は「誰」かの前で堂々と悪戯をすることができなかったようだ。そのことに語り手は言及しないで、「気味の悪いもの」へと話題を転じる。「投げ込んだら」は〈「投げ込んだ」。そうした「ら」〉とやってほしい。「投げ込んだら」のままなら、「脅かされた」で、ちょっと跳んで、〈「脅かされた」ので、「彼は恐ろしくなって、すぐ竿(さお)を放り出した」〉と続ける。「その強い力」の話は補足になる。しかし、少年健三にとって「その強い力」の方が重要なのだろう。主題が分裂。「脅かされ」は被害妄想的。
「水の底」は少年健三の空想。「引っ張り込まなければ已(や)まない」は意味不明。
「そうして」は、機能していない。〈ところが〉で始まるはずの物語を、作者は封印している。少年健三は、自分の恐れを「誰」かと共有しようとしなかったらしい。〈「池の中」に「気味の悪いもの」がいるよ〉と「誰」かに訴えなかったようだ。そうだとしたら、なぜか。逆に、「気味の悪いもの」の像を想像しようともしなかったらしい。そうだとしたら、なぜか。「翌日」まで「水面」を見なかったようだが、なぜか。
「独(ひと)り」なのは、なぜか。「怖がった」のは、変。「緋鯉」と知れたら安心するはずだ。
少年健三は、玩弄されたり遺棄されたりして育ったようだ。苦しみながら死んだ「緋鯉(ひごい)」は、彼自身の象徴だろう。だが、語り手は、そのように語らない。
「緋鯉」の話から『坊っちゃん』の「釣(つ)り」(『坊っちゃん』五)の場面が想起されよう。
6000 『それから』から『道草』まで
6500 近道の『道草』
6530 「独(ひと)り怖(こわ)がった」
6532 「焼け出された裸(はだか)馬(うま)」
語り手は「大きな四角な家」(『道草』三十八)に関する健三の「記憶」を羅列する。語り手が健三の思いをそのまま再現しているようだ。語り手と回想する健三を区別することはできない。だから、作者の創作ではなく、Nの回想のように思える。
<彼は時々表二階へ(ママ)上(あが)って、細い格子の間から下を見下した。鈴を鳴らしたり、腹掛を掛けたりした馬が何匹(ママ)も続いて彼の眼の前を過ぎた。
(夏目漱石『道草』三十八)>
「時々」とは、不在がちな父を思い出すときだろう。
<世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争(いくさ)が起りそうに見える。焼け出された裸(はだか)馬(うま)が、夜昼となく、屋敷の周囲(まわり)を暴(あ)れ廻ると、それを夜昼となく足軽(あしがる)共が犇(ひしめ)きながら追(おっ)掛(か)けている様な心持がする。それでいて家のうちは森(しん)として静かである。
家(いえ)には若い母と三つになる子供がいる。父は何処(どこ)かへ行った。父が何処(どこ)かへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床(とこ)の上で草鞋(わらじ)を穿(は)いて、黒い頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞(ぼんぼり)の灯(ひ)が暗い闇(やみ)に細長く射(さ)して、生垣(いけがき)の手前にある古い檜(ひのき)を照らした。
父はそれきり帰って来なかった。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答える様になった。母が「何日(いつ)御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云(ママ)う言葉を何遍(なんべん)となく繰返(くりかえ)して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「御父様は何処(どこ)」と聞かれて「今に」と答える事もあった。
(夏目漱石『夢十夜』「第九夜」)>
「何となく」を受ける言葉がない。
「見える」は意味不明。
「焼け出された裸(はだか)馬(うま)」は意味不明。「裸(はだか)馬(うま)」なら、「鈴を鳴らしたり、腹掛(はらがけ)を掛けたり」しないはずだ。「裸(はだか)馬(うま)」と「足軽(あしがる)共」の関係は不明。〈「暴(あ)れ廻ると」~「追(おっ)掛(か)けている」〉は呼応しない。「犇(ひしめ)きながら追(おっ)掛(か)けて」なんて、できるはずがない。
「それでいて」は変。「心持がする」のだから、「静かで」も構わない。
「父」は夜逃げをした。「裸(はだか)馬(うま)」は「父」で、「足軽(あしがる)共」は借金取り。室内が「静か」なのは家人が息を潜めているからだろう。異様に「静か」なのだ。「家(うち)の中は何時(いつ)もの通りひっそりしていた」(上十四)という文と比べよう。この場面のPは、少年健三のような存在だ。Sは何かから逃げ出そうとしているようで、特殊な使命を帯びているようでもある。
「母」は「子供」に〈「父」は密命を帯びた〉などと思わせたがっているらしい。
「暗い闇(やみ)」の「暗い」は不要。
「母」は「子供」に暗示をかけている。「子供」は無知を装い、抵抗している。
6000 『それから』から『道草』まで
6500 近道の『道草』
6530 「独(ひと)り怖(こわ)がった」
6533 「すかして置いて」
『夢十夜』の「第九夜」は、妙な終わり方をする。
<拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈(たけ)のゆるす限り、広縁の上を這(は)い廻っている。そう云(ママ)う時は母にとって、甚(はなは)だ楽な夜である。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。御百度の足が非常に早くなる。大変息が切れる。仕方のない時は、中途(ちゅうと)で拝殿へ(ママ)上って来て、色々すかして置(ママ)いて、又御百度を踏み直す事もある。
こう云(ママ)う風に、幾晩となく母が気を揉(も)んで、夜(よ)の目も見ずに心配していた父は、とくの昔に浪士(ろうし)の為(ため)に殺されていたのである。
こんな悲い(ママ)話を、夢の中で母から聞た(ママ)。
(夏目漱石『夢十夜』「第九夜」)>
「拝殿」は「拝殿の欄干」(「第九夜」)の略。「母」は「夫」のために「拝殿」に来た。「母」は「子」の自由を奪う。〈「細帯」←サイタイ←臍帯〉だろう。〈サイタイ→妻帯〉も重なる。
「ひいひい」がワガハイの「ニャーニャー」の原典だ。
「こう云う風」は、願掛け。「夜(よ)の目も見ず」は意味不明。「気を揉んで」と「心配して」は重複。「とくの昔」は変。「子」が成長していないからだ。「浪士(ろうし)」は「子」だ。「母」の命令で「子」は「父」を殺した。
「夢の中」の「母」も「すかして」いる。彼女は、自分と「子」の犯した罪を隠蔽するために「父」を悲運の志士に仕立て上げた。
Ⅰa 浪費家の父は借金を背負って夜逃げをした。生きているが、戻ることはできない。
Ⅱa 立派な侍の父は密命を帯びて潜伏する。だが、悪人に殺された。
「母」は、「子」に、Ⅱの物語を語りながら、Ⅰの物語を暗示していた。
二つの物語は、次のようでなければならない。
Ⅰb 浪費家の父は借金を背負って夜逃げをした。母は父を呪う。
Ⅱb 立派な侍の父は密命を帯びて潜伏する。やがて凱旋する。
母が息子を縛る物語は、次のようなものだろう。
父は別の女と暮らす。母は自分が捨てられたと思いたくなくて、自己欺瞞のために、子に嘘をつく。息子は母の嘘に騙されたふりをする。彼も自分が父に捨てられたと思いたくないからだ。母子は、互いの面子を保つために、父を美化する。だが、怨みは逆に募る。奔馬と無音の室内は、抑圧された怒りや恐れなどの隠喩。
夏目語の「母」には、〈息子を共犯者に仕立てる女〉といった意味があるようだ。
(6530終)