漫画の思い出
萩尾望都『トーマの心臓』(3)
トーマの自殺の動機は何か。作者はそれを探すふりをしながら、読者を迷宮に誘う。
トーマは死んだのではない。この少年は存在しなかったのだ。だから、死なない。だから、自殺の動機など、あるはずもない。
トーマは少年ではなかった。男でも女でもなかった。〈半分男で半分女〉というのでもない。自称トーマだった処女が、女として生きることを決意したとき、彼は消滅したのだ。トーマの死は異性愛者である女の誕生の隠喩だ。
狡い処女は、〈異性の客体として生きながらも女として自立する〉という無茶苦茶な物語を夢想しながら白馬の王子様のような男の到来を待ち続ける。
漫画の少年たちは、男の眼には男装した少女にしか見えない。彼らはいつも苛立っている。王子様がやって来ないからだ。待ちくたびれた。トーマの物語は、蛹のように空っぽだ。蛹は死体ではない。中身は成虫になって飛び去った。死体を探しても見つからない。
こうした裏話を、処女の読者は感知している。トーマの物語が完結しないことぐらい、十分に察知している。
女流漫画家の作品は、しばしば、普通の意味での作品とは本質的に異なる。それを作品として解釈することができないのだ。解釈するとすれば、夢を解釈するような方法を採用するしかない。夢の解釈は、解釈する人の思想によって異なる。だから、万人が納得できるような解釈はできない。
(続)